20世紀日本人名事典 「三上誠」の解説
三上 誠
ミカミ マコト
昭和期の日本画家
- 生年
- 大正8(1919)年8月8日
- 没年
- 昭和47(1972)年1月16日
- 出生地
- 大阪府大阪市
- 出身地
- 福井県福井市
- 旧姓(旧名)
- 嶋田
- 学歴〔年〕
- 京都市立絵画専門学校日本画科〔昭和19年〕卒
- 経歴
- 昭和19年京都市立絵画専門学校副手。23年日本画と画壇機構の変革を求め、大野秀隆、下村良之介らとパンリアル美術協会を結成。27年肺結核となり2回の手術で肋骨11本を切除、福井に帰った。詩や文章を書きながら、ひび割れた大地に骨やコブ、内臓や手足が突き出た作品の制作を続けたが再発病。36年体力を回復、パンリアルで知り合った乾昌子と結婚。鳥の子紙の塊や断片などの無機的世界を経て「人体経路図」のほか、女の生々しい顔や手をはめこんだイメージ、ユーモアにあふれた濶達な作品などを描いた。他の作品に「F市曼陀羅」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報