大学事典 「三大学教授追放事件」の解説
三大学教授追放事件
さんだいがくきょうじゅついほうじけん
1928年(昭和3)3月に日本共産党およびそのシンパに対し,治安維持法違反容疑による全国一斉検挙が行われた。この三・一五事件では帝国大学学生から多数の検挙者を出したこともあり,水野錬太郎文部大臣は事件への関係が疑われた「左傾」教授の追放を各帝国大学総長に要求した。その圧力により,同年4月に東京帝国大学経済学部助教授の大森義太郎,京都帝国大学経済学部教授の河上肇,九州帝国大学では法文学部教授の向坂逸郎・石浜知行・佐々弘雄と助手の塚本三吉が,自主辞職に追い込まれた事件。京都帝国大学・九州帝国大学の4教授の場合は,学部教授会は罷免には同意しなかったものの,総長による自発的辞職勧告は容認するとの議決に至ったことを踏まえての自主辞職であった。
著者: 岩田弘三
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報