コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

向坂逸郎 さきさかいつろう

7件 の用語解説(向坂逸郎の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

向坂逸郎
さきさかいつろう

[生]1897.2.6. 大牟田
[没]1985.1.22. 東京
労農派マルクス主義の理論的実践的指導者。 1921年東京大学経済学部卒業,同学部助手,ヨーロッパ留学 (1922~25) を経て 25年九州大学教授。いわゆる労農派の代表的論客として日本資本主義論争に健筆をふるったが,28年三・一五事件の影響で大学を追われた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

さきさか‐いつろう〔‐イツラウ〕【向坂逸郎】

[1897~1985]経済学者。福岡の生まれ。九大教授。労農派に属し、日本資本主義論争に参加。第二次大戦後、社会主義協会を主宰、労働運動日本社会党左派の理論的指導者として活躍。翻訳「資本論」、著「地代論研究」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

向坂逸郎【さきさかいつろう】

マルクス経済学者。福岡県生れ。東大卒。九大教授となったが,1928年共産主義を宣伝したとして職を追われ,戦後に復職。労農派の論客で,日本資本主義論争などに活躍した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

向坂逸郎 さきさか-いつろう

1897-1985 大正-昭和時代の経済学者。
明治30年2月6日生まれ。大正15年九州帝大教授。昭和3年三・一五事件の余波で辞職し,「労農」同人となる。戦後,九州帝大に復職。26年山川均(ひとし)らと社会主義協会を創立。社会党左派でマルクス主義の理論的指導者として活躍した。昭和60年1月22日死去。87歳。福岡県出身。東京帝大卒。著作に「日本資本主義の諸問題」,訳書に「資本論」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

さきさかいつろう【向坂逸郎】

1897‐1985(明治30‐昭和60)
マルクス主義経済学者。1921年(大正10)東大経済学部卒業後,同助手,ドイツ留学を経て25年に九州大学法文学部経済原論担当教授となるが,28年(昭和3)の三・一五事件の余波で辞職を余儀なくされ,以後労農派同人として37年12月の人民戦線事件で検挙されるまで,改造社の〈《マルクス・エンゲルス全集》〉全32巻の編集,講座派との日本資本主義論争をはじめ広範な文筆活動に従事した。戦後は社会主義運動に携わることを条件に九大に復帰,非共産党マルクス主義者として山川均らと47年に〈《前進》〉を創刊,51年には社会主義協会を設立し機関誌〈《社会主義》〉を刊行して総評や日本社会党内に支持者をひろめた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

さきさかいつろう【向坂逸郎】

1897~1985) 経済学者。福岡県生まれ。九大教授。労農派の代表的論客として日本資本主義論争に加わる。戦後、社会主義協会を創設、日本社会党左派に強い影響を与える。著「地代論研究」、訳「資本論」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

向坂逸郎
さきさかいつろう
(1897―1985)

マルクス経済学者。福岡県大牟田(おおむた)市に生まれる。1921年(大正10)東京帝国大学経済学部卒業。22年より2年半にわたってベルリン留学。この間マルクス、エンゲルスをはじめカウツキー、ベーベル、ヒルファーディングらのマルクス主義理論家の著作を研究すると同時に、マルクス主義文献の収集に努めて、日本におけるマルクス主義の本格的な研究の基礎を築いた。帰国後25年より九州帝国大学教授となり経済学概論を担当。28年(昭和3)の三・一五事件の余波で九大を辞職(第二次世界大戦後復帰)。37年人民戦線事件との関連で教授グループの一員として検挙される。戦前の日本資本主義論争では労農派の代表的論客として活躍し、戦後は山川均(ひとし)とともに社会主義協会を創立して、正統派マルクス主義の立場から労働運動および日本社会党の左派グループに大きな影響を与えた。『資本論』(岩波文庫版)の翻訳のほか、おもな著作として『地代論研究』(1933)、『マルクス経済学の方法』(1959)など多数ある。[新田俊三]
『向坂逸郎著『経済学方法論』3巻(1950・河出書房) ▽向坂逸郎著『マルクス主義と民族問題』(1951・板垣書店) ▽向坂逸郎著『マルクス経済学の基本問題』(1962・岩波書店) ▽向坂逸郎著『マルクス伝』(1962・新潮社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の向坂逸郎の言及

【社会主義協会】より

…安部磯雄を会長に,片山潜,幸徳秋水らを擁して社会主義の研究と啓蒙にあたり,平民社と一体となって草創期の日本社会主義に大きな足跡を残したが,日露戦争中の04年11月に警察当局から解散を命じられた。(2)1951年1月,戦前の労農派の流れをくむ山川均,大内兵衛,向坂逸郎らの理論家に太田薫,岩井章,高野実らの労働運動指導者が加わって発足し,6月に雑誌《社会主義》を創刊。代表は山川,大内で,58年山川没後は大内,向坂が代表を務めた。…

【マルクス経済学】より

…これがいわゆる〈二段階革命論〉であったが,それが日本共産党のいわゆる〈32年テーゼ〉とぴったりと一致することは,周知のことがらであった。 これに対して,雑誌《労農》に結集した山川均猪俣津南雄,向坂逸郎(1897‐1985),大内兵衛櫛田民蔵,土屋喬雄(1896‐1988)らの学者は,総じて労農派と呼ばれたが,彼らはほぼ次のように主張した。明治維新は一種のブルジョア革命であり,したがってそれ以後,日本社会の構造は土地所有よりも資本の運動によって規制されるようになった。…

※「向坂逸郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

向坂逸郎の関連キーワード河合栄治郎マルクスレーニン主義修正マルクス主義マルクシアン石浜知行長谷部文雄広島定吉横山正彦マルクス主義経済学マルクス主義的国際経済学

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

向坂逸郎の関連情報