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室町後期の武将。官途は民部少輔,右京大夫,武蔵守。細川氏の庶流政春の子で,幕政上さして重要な地位ではなかったが,1507年(永正4)前管領細川政元が養子澄之に暗殺されると,澄元に就いて同年澄之討伐に功を挙げ,にわかに幕府内で重要な地歩を占めるようになった。翌年周防に逃亡中の前将軍足利義材(義稙)が大内義興に擁されて上洛すると,高国はこれと結んで将軍義澄,細川澄元を近江に追い落とし,義材の将軍還任に成功した。以後1518年に義興が帰国するまで,幕政は高国と義興が主導,高国は細川氏家督,次いで管領となり,摂津,丹波,讃岐,土佐の守護を兼帯し,事実上畿内近国を支配した。18年以後はひとり幕政を壟断,将軍義材は傀儡化を嫌って21年(大永1)阿波へ出奔し,高国は新たに義澄の遺子義晴を将軍に立てた。27年旧澄元残党系の三好元長,細川晴元らに攻撃されて京都を逃亡,再起を図ったが31年摂津尼崎で自刃した。
執筆者:今谷 明
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戦国期の武将。幕府管領(かんれい)。備中(びっちゅう)守護細川政春(まさはる)の子。細川政元(まさもと)の養子。通称六郎。官途は右京大夫(うきょうのだいぶ)・武蔵守など。法名道永(どうえい)のち常桓(じょうかん)。1507年(永正4)の政元暗殺後に台頭し、大内義興(よしおき)とともに足利義稙(よしたね)を盛り立て、細川澄元(すみもと)・三好之長(みよしゆきなが)らに対抗。1521年(大永元)に義稙が逃亡すると足利義晴(よしはる)を将軍に擁立し、足利義維(よしつな)・三好元長(もとなが)と対立する。1528年(享禄元)元長らに京都を追われて高国政権は崩壊するが、諸国を回って再起の時をうかがう。1531年摂津天王寺(てんのうじ)で元長らに敗れ、尼崎(あまがさき)に潜伏中を捕らえられ、6月8日に自刃した。
[仁木 宏]
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