日本歴史地名大系 「三宅城跡」の解説 三宅城跡みやけじようあと 大阪府:茨木市東蔵垣内村三宅城跡[現在地名]茨木市蔵垣内三丁目・丑寅二丁目北摂地方を吹田(すいた)城(現吹田市)、茨木城など諸城と呼応しつつ抑えた要衝。圃場整備のため遺構はまったく失われたが、阪急京都線沿いの字堀田(ほりた)付近には内堀の跡があったようで(大阪府全志)、堀田の南に「城の内」の地名もあることから、城は丑寅(うしとら)二丁目から蔵垣内(くらかきうち)三丁目にかけた地にあったことはほぼ確実である。「足利季世記」に「本城」と「水城(ママ)」の記載があり、また「大手の木戸」「二の木戸」などとも記されていることから、遅くとも戦国末期には単郭でなく、二ノ丸を備えていたと推定される。文明六年(一四七四)三月日付野田泰忠軍忠状(尊経閣古文書纂)に文明元年一二月一六日「着寄三宅館、於数度合戦仕畢」とあるのが初見か。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by