朝日日本歴史人物事典 「細川氏綱」の解説
細川氏綱
生年:生年不詳
戦国時代の武将,室町幕府最後の管領。右京大夫。通称二郎。尹賢の子。細川高国の嫡子稙国が早世したため,高国の養子となる。天文12(1543)年,細川晴元に敗れて自刃した高国の残党に擁立され,挙兵。晴元派の三好範長(長慶)に敗れたのち,遊佐長教らと結んで三好宗三(政長)と連戦。同17年,政長との確執から晴元に反旗を翻した長慶に擁立され,翌年管領晴元,前将軍足利義晴,将軍足利義藤(義輝)を京から追う。同21年,義輝と和解して右京大夫,管領に任じられたが,実権はなおも長慶の手にあった。永禄2(1559)年長慶により山城国淀城に移され,のち同城で没した。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報