三宅大輔(読み)ミヤケダイスケ

デジタル大辞泉 「三宅大輔」の意味・読み・例文・類語

みやけ‐だいすけ【三宅大輔】

[1893~1978]野球選手・監督東京の生まれ。慶大捕手として活躍。昭和9年(1934)メジャーリーグ選抜チームとの対戦では全日本チームの監督となり、翌年、大日本東京野球倶楽部クラブ巨人前身)の初代監督。戦後は野球評論に力を入れた。

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20世紀日本人名事典 「三宅大輔」の解説

三宅 大輔
ミヤケ ダイスケ

大正・昭和期のプロ野球監督,野球評論家,演劇評論家



生年
明治26(1893)年4月16日

没年
昭和53(1978)年1月3日

出生地
東京

別名
別姓=小柴

学歴〔年〕
慶応義塾大学〔大正7年〕卒

経歴
慶大時代は捕手、内野手として活躍、主将も務めた。三田倶楽部、東京クラブチームを経て、大正14年慶大チーム監督となる。のち東京六大学野球リーグ専属審判員。昭和9〜10年巨人初代監督、11〜12年阪急初代監督、18〜19年には名古屋軍(中日)総監督、19年産業軍監督を務めた。戦後は各球団の技術担当や評論家として活躍。44年野球殿堂入り。著書に「近代打法」「野球学」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅大輔」の解説

三宅大輔 みやけ-だいすけ

1893-1978 大正-昭和時代の野球人。
明治26年4月16日生まれ。慶大,東京クラブなどで捕手,内野手。昭和9年大リーグ選抜チーム来日のとき全日本チームのコーチとなり,10年大日本東京野球倶楽部(クラブ)(東京巨人軍の前身)の監督として渡米。11年阪急の初代監督。戦後は評論で活躍した。44年野球殿堂入り。昭和53年1月3日死去。84歳。東京出身。

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