三宅碩夫(読み)ミヤケ セキオ

20世紀日本人名事典 「三宅碩夫」の解説

三宅 碩夫
ミヤケ セキオ

明治・大正期の弁護士



生年
元治2年4月5日(1865年)

没年
大正11(1922)年9月8日

出生地
備中国浅口郡江長村(岡山県敷市)

学歴〔年〕
東京英吉利法律学校(現・中央大学)卒

経歴
三宅庄左衛門の長男として生まれる。幼くして倉敷・森田弘道の塾、一族の三宅薇陽に学び、明治19年岡山県尋常師範学校を卒業。のち上京して東京英吉利法律学校に学ぶ。22年弁護士試験に合格して東京・銀座に開業。29年同志を募り日本弁護士協会を創設し理事となる。大正6年東京弁護士協会副会長に就任。人権問題、シーメンス事件(3年)、米騒動(7年)などに関与する一方、房総鉄道、北海道鉄道の監査役を務める。相撲を好み角通としても知られ、常陸山会会長、東京相撲協会顧問として相撲協会の進展に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅碩夫」の解説

三宅碩夫 みやけ-せきお

1865-1922 明治-大正時代の弁護士。
元治(げんじ)2年4月5日生まれ。英吉利(イギリス)法律学校(現中央大)にまなび,明治22年東京で開業。30年日本弁護士協会の設立にくわわり,理事となる。大正6年東京弁護士協会副会長。シーメンス事件,米騒動などにかかわった。大正11年9月8日死去。58歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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