三宮義胤(読み)サンノミヤ ヨシタネ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三宮義胤」の解説

三宮 義胤
サンノミヤ ヨシタネ


肩書
宮内省式部長

生年月日
天保14年12月24日(1843年)

出生地
近江国滋賀郡真野村

経歴
勤王志士として行動、頼三樹三郎梅田雲浜らと交流をもつ。王政復古の際、鷲尾隆聚高野山挙兵戊辰戦争には仁和寺宮の小軍監として北越奥羽転戦した。明治2年兵部権少丞、3年10月東伏見宮に随行してイギリスに渡る。10年1月より2等書記官としてドイツ公使館に勤め、13年9月帰国。16年12月外務省から宮内省へ移り、18年大書記官、28年式部長となり10年余り務める。29年男爵となる。

没年月日
明治38年8月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「三宮義胤」の解説

三宮義胤

没年:明治38.8.14(1905)
生年:天保14.12.24(1844.2.12)
幕末の勤王志士。近江国滋賀郡真野浜村(大津市)の真宗正源寺の住職三上円海の長男。嘉永5(1852)年得度,まもなく寺を出て上京し,勤王の志士と交流。岩倉具視に協力して王政復古に尽力した。慶応3(1867)年高野山の挙兵に参加,次いで戊辰戦争に従軍して各地に転戦,明治2(1869)年賞典禄50石を下付された。その後兵部省に勤務,翌3年東伏見宮彰仁親王の英国留学に随行する。10年外務省に移り駐ドイツ日本公使館に勤務。13年に帰国した。16年宮内省に転じ,外事課長・調度局長・主殿頭などを歴任,28年式部長に進み,翌29年功により男爵を授けられた。

(上野秀治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宮義胤」の解説

三宮義胤 さんのみや-よしたね

1844*-1905 幕末-明治時代の尊攘(そんじょう)運動家,官吏
天保(てんぽう)14年12月24日生まれ。三上兵部の変名で,岩倉具視(ともみ)の王政復古運動をたすける。維新後は官吏となり,明治3年東伏見宮嘉彰親王のイギリス留学に随行。10年からドイツ公使館に勤務,帰国後,宮内省式部長などをつとめた。明治38年8月14日死去。63歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三宮義胤」の解説

三宮 義胤 (さんのみや よしたね)

生年月日:1844年12月24日
江戸時代;明治時代の外務省;宮内省官吏。男爵
1905年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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