三岳村(読み)みたけむら

日本歴史地名大系 「三岳村」の解説

三岳村
みたけむら

[現在地名]引佐町三岳

三岳山(四六六・八メートル)の南麓一帯に位置し、西は井伊谷いいのや村・花平はなだいら村。三岳山には三岳城跡がある。三竹などとも記され、江戸期の郷帳類はいずれも三嶽村と記している。天正一七年(一五八九)七月七日、徳川家が「ミたけ」の九郎右衛門に宛て七ヵ条の条規を定めた(「徳川家七ヵ条定書写」御庫本古文書纂)。翌年一月一四日には徳川家により「伊奈佐郡井伊谷内ミたけ之村」「井伊谷内三竹村」などと記された表紙をもつ検地帳が作成され、当村は同家給人の菅沼次郎衛門・近藤平衛門・鈴木平兵衛の支配下にあったことが知られる。

三岳村
みたけむら

面積:一二〇・五八平方キロ

御嶽おんたけの東山麓にある山村。東は木曾福島きそふくしま町、西は王滝おうたき村、北は開田かいだ村、南は上松あげまつ町に境している。面積の九二パーセントが山林原野で、狭い耕地と集落は木曾川支流の王滝川、西野にしの川などの渓流やダム湖に沿って散在している。中心集落は黒沢下殿くろさわしもとので、御嶽黒沢口登山道の起点。信仰集落として発達したところである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報