三徳川(読み)みとくがわ

日本歴史地名大系 「三徳川」の解説

三徳川
みとくがわ

三朝町東部、鹿野(しかの)町との境である俵原(たわら)高原に発して西流、片柴(かたしば)の西、余戸(よど)で左岸に小鹿(おしか)川を合せ、同じく本泉(もといずみ)で加茂(かも)川を合せてすぐに竹田(たけだ)川(天神川上流)に合流する。流路延長一五・三五キロ、流域面積一二六・六平方キロ。小鹿川との合流点から竹田川に合流するまでは三朝川とよぶことが多い。上流は凝灰岩類や基盤の花崗岩を深く浸食し渓谷をなすが、坂本(さかもと)より下流はしばしば水害に悩まされた。明治六年(一八七三)の山田温泉願帳(山田区有文書)は天文八年(一五三九)、享保一四年(一七二九)、寛延三年(一七五〇)に洪水があったことを記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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