精選版 日本国語大辞典 「鹿野」の意味・読み・例文・類語
しかの【鹿野】
- 姓氏の一つ。
鳥取県東部、気高郡(けたかぐん)にあった旧町名(鹿野町(ちょう))。現在は鳥取市の西部を占める地域。1899年(明治32)町制施行。1955年(昭和30)勝谷(かつたに)、小鷲河(こわしがわ)の2村と合併。2004年(平成16)国府(こくふ)町、河原(かわはら)町、用瀬(もちがせ)町、気高町、青谷(あおや)町、福部(ふくべ)村、佐治(さじ)村とともに鳥取市に編入。旧町域の大部分は山地にあり、面積の約80%が山林、河内(こうち)川流域などに耕地がある。中心の鹿野は、1580年(天正8)以降亀井(かめい)氏3万8000石の城下町であったが、1617年(元和3)石見(いわみ)(島根県)津和野(つわの)へ移封後は鳥取藩領となり、在町(ざいまち)化した。城跡や町割、町名などに亀井氏時代の名残(なごり)をとどめる。鹿野地区中心街の北西方今市には鹿野温泉がある。明治・大正時代には製紙および製糸業が栄えたが、現在は農業が中心となり、稲作、ナシや花卉(かき)の栽培、畜産、木材加工業などが行われる。幸盛(こうせい)寺の山中鹿介(しかのすけ)の墓、城主亀井茲矩(これのり)の墓、城山神社行事、伝亀井茲矩将来品、城山神社獅子(しし)舞、亀井踊などの文化財がある。
[岩永 實]
『滝中菊太郎著『鹿野小誌』復刻版(1979・鹿野町郷土文化研究会)』▽『『鹿野町誌』上下・別巻1(1992~1995・鹿野町)』
山口県中東部、都濃郡(つのぐん)にあった旧町名(鹿野町(ちょう))。現在は周南市(しゅうなんし)の北部を占める地域。1940年(昭和15)町制施行。1955年須金村の金峰、須万地区の一部、串村の巣山地区を編入。2003年(平成15)徳山市、新南陽市(しんなんようし)、熊毛町(くまげちょう)と合併、周南市となる。旧鹿野町地域は、島根県境の莇ヶ岳(あざみがたけ)、小峰山など1000メートル級の山地に囲まれた錦(にしき)川上流の農林業が盛んな地区である。米作のほか、高冷地野菜栽培が行われ、ワサビを特産する。周南市の鹿野総合支所のある鹿野市(かのいち)は鹿野盆地の河岸段丘上に立地し、近世山代(やましろ)街道の要地となり、都濃郡北部の市場町として栄えた。名刹(めいさつ)漢陽寺の潮音洞は1654年(承応3)掘削の導水トンネルで県指定史跡。南北に国道315号が通り、1980年(昭和55)には中国自動車道鹿野インターチェンジが設置されている。長野山(1015メートル)は緑地公園として整備され、ロッジやキャンプ場がある。
[三浦 肇]
『『鹿野町誌』(1970・鹿野町)』
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…町域は大山火山帯に属する鷲峰(じゆうぼう)山のすそ野に広がり,北部に低地が開ける。中心集落の鹿野は交通・軍事上の要地にあたり,中世は志加奴氏が支配したが,戦国時代には山名,尼子,毛利各氏の争奪の地となった。1580‐1617年(天正8‐元和3)の間は亀井氏の城下町であったが,以後は鳥取藩領となり,城も破却された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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