三教論衡(読み)さんきょうろんこう(その他表記)Sān jiào lùn héng

改訂新版 世界大百科事典 「三教論衡」の意味・わかりやすい解説

三教論衡 (さんきょうろんこう)
Sān jiào lùn héng

中国で儒教仏教道教の三教の間で争われた教義あるいは儀礼に関する論争のこと。とくに皇帝目前で,三教の代表者が互いに論難し合う三教論衡は,北周武帝(在位560-578)のときに始まり,唐代にうけつがれた。唐代では高祖のとき以来,9帝のもとで挙行されたが,三教調和の指向が強くなるにつれて儀式化した。文宗のとき儒教を代表して参加した白居易は〈三教論衡〉を書き残した。
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