三根郡・三根郷(読み)みねぐん・みねごう

日本歴史地名大系 「三根郡・三根郷」の解説

三根郡・三根郷
みねぐん・みねごう

三根郡は南北朝期より江戸時代中期にかけてみえる郡で、対馬八郡の一つ。「和名抄」にみえる上県かみあがた郡三根郷の郷名を継承する。郡名の表記は三禰郡などがあり、郡内に小峰こみね郡が成立していた。島府を置いた頃から郡の東部を大峰郡、西部小峰郡と称するようになったとされるが、大峰郡が確認できないことを含めて未詳。江戸時代中期以降は対馬八郷の一つとして三根郷と改める。郡域は現峰町に比定される。

〔三根郡〕

建武三年(一三三六)「対馬島大掾職」に「峯太郎掾光家」が補任されており(同年四月五日「少弐頼尚書下」三根郷給人等判物写、以下断りのない限り同判物写)、大掾という令制下の役職名が残ることも注目されるが、この対馬島大掾職は峰氏を称する阿比留氏が代々相伝してきた職分で、宗氏の勢力が強まるなかでなお存続していることが知られる。貞和四年(一三四八)「ミねのくんし」や伊奈郡司らは、けち(現美津島町)の大掾から近年「すいしうやくのようとう」が無沙汰であるとして訴えられ、本年は納入するよう命じられている(同年一〇月八日「宗妙意書下」宗家判物写)。正平一〇年(一三五五)「みねのくんし」に「いつのあつかり」(「きやうかく房」跡の預職)が暦応三年(一三四〇)五月の書下にまかせて安堵されている(正平一〇年四月二九日某書下)。正平一〇年「ミねのくんし」の「もりなを」が伊奈(現上県町)の「こわう」と「さしき」の席次について争論を起こしている(同年五月二日「宗維茂書下」与良郷宗家判物写)。延文六年(一三六一)「峯郡司」の九郎三郎が御神事の際の「あひる氏同性并清原氏神人等」の「さしき」について年齢次第にするよう指示されている(同年三月一五日某書下)。貞治四年(一三六五)「ミねのくんし」らは下津しもつ八幡宮(現厳原町)の大床の材木を一月二〇日までに用意するよう命じられている(同年一一月一九日「某書下」宗家判物写)。応永一五年(一四〇八)上津八幡宮(現峰町)・下津八幡宮の舞別当として「峯郡使」の彦太郎が公事などを免じられた(同年六月三日宗頼茂遵行状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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