20世紀日本人名事典 「三浦弘夫」の解説 三浦 弘夫ミウラ ヒロオ 江戸時代末期・明治期の神官,国学者 生年天保3年(1832年) 没年大正2(1913)年11月 出生地駿河国庵原郡蒲原町(静岡県) 旧姓(旧名)高村 経歴駿河蒲原の高村氏に生まれ、のち三浦氏を嗣いだ。15歳で江戸・小石川に住み、和漢の学を修め、国学者・鬼島広蔭の門人となる。明治維新の頃に大久保一翁の下で歌書を講じた。のち小梳神社の祠官となり、9年出島竹斎と共に同境内に静篁舎を設けて子弟の教育に当たる。16年静岡県の神部・浅間・大歳御祖神社の祠官となり、3社の国幣小社昇格に尽力した。21年国幣小社に昇格するや初代宮司となる。晩年は古文典を講じ、歌学の普及に貢献した。また35年水落町に裁縫女学校を創立し、女子の実業教育に努めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦弘夫」の解説 三浦弘夫 みうら-ひろお 1832-1913 幕末-明治時代の国学者,神職。天保(てんぽう)3年生まれ。鬼島広蔭(きじま-ひろかげ)の門人。維新のころ大久保一翁のもとで歌書を講じた。明治16年静岡県の神部(かんべ)・浅間(せんげん)・大歳御祖(おおとしみおや)神社の宮司となり,3社の国幣小社昇格に尽力した。大正2年11月死去。82歳。駿河(するが)(静岡県)出身。本姓は高村。号は静篁舎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by