…また,敏達天皇の死後の殯宮(もがりのみや)では,馬子の姿を矢で射られた雀のようだとあざけり,馬子からはふるえる手脚に鈴をかけよとあざけられた,との話も伝えられている。守屋は,用明天皇(母は蘇我堅塩媛(きたしひめ))の異母弟の穴穂部(あなほべ)皇子(母は蘇我小姉君(おあねのきみ))と親しく,皇子が皇位をねらうのを阻もうとした三輪逆(みわのさかう)を殺した。しかし587年,守屋は群臣から孤立したのを察し,河内の阿都(あと)の別荘に退いて戦いの準備をすすめた。…
※「三輪逆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」