三間在家村(読み)さぎざきむら

日本歴史地名大系 「三間在家村」の解説

三間在家村
さぎざきむら

[現在地名]上三川町上郷かみごう

鬼怒川右岸に位置し、西境の一部をすずめ川が南流する。東は鬼怒川を隔てて芳賀はが(現真岡市)、西は上郷村。幕末より三軒在家村と記す。近世初めは烏山藩領。元和八年(一六二二)幕府領となる。慶安郷帳に村名がみえ、田高四〇〇石余・畑高一三九石余、旗本大草・川勝・服部の三給。元禄郷帳では旗本増井・吉田・服部の三給。享保九年(一七二四)には幕府領と旗本吉田の二給(「芝野二百町歩開発願」稲見喜正文書)。改革組合村では旗本古田(吉田か)領。旧高旧領取調帳では旗本吉田・奥村の二給。天保年間(一八三〇―四四)の家数三五(改革組合村)。享保一三年には徳次郎とくじら宿(現宇都宮市)の当分助郷村で勤高一八三石、「三軒才家村」とある(明和九年「日光社参人馬勤覚書」岡田純一文書)


三間在家村
さんげんざいけむら

[現在地名]鶴岡市布目ぬのめ

布目村の北西大山おおやま街道の西側にある。西を千安ちやす川が北流する。三軒在家さんげんざいけとも記される。村名は京田きようでん通・櫛引くしびき通・山浜やまはま通の三通りの間に位置することに由来するともされるが不詳。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に「三日在家村」とみえ高一一三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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