竜造寺政家(読み)りゅうぞうじまさいえ

改訂新版 世界大百科事典 「竜造寺政家」の意味・わかりやすい解説

竜造寺政家 (りゅうぞうじまさいえ)
生没年:1556-1607(弘治2-慶長12)

桃山時代肥前佐賀(嘉)城主。父は竜造寺隆信。1580年(天正8)父隠居のあとをうけて相続。実質的には父の死亡(1584)後に実権を握る。しかし戦国大名としての地位は大幅に後退した。87年,豊臣秀吉によって本領の肥前4郡(佐嘉,小城,藤津,三根)を安堵され,のち羽柴姓・豊臣姓を受ける。90年には,秀吉鍋島氏重用策により,子藤八郎に譲って隠居。隠居領5000石。子藤八郎(高房)の領知高は肥前国30万9902石。
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朝日日本歴史人物事典 「竜造寺政家」の解説

竜造寺政家

没年:慶長12.10.2(1607.11.21)
生年弘治2(1556)
戦国から江戸時代初期にかけての肥前(佐賀県,長崎県)の武将。長法師丸,太郎四郎。実名は鎮賢,久家,政家と変化。官途は民部大輔。天正16(1588)年侍従となる。隆信の子。天正9年の隆信の隠居後,家督を継ぐ。豊臣秀吉に従い,同15年,肥前国7郡を安堵される。同18年隠居し,子の高房が家督を継承,鍋島直茂が後見を行う。慶長12(1607)年に高房,政家と相次いで没し,以後は鍋島氏が佐賀藩主として君臨することになった。<参考文献>堀本一繁「竜造寺氏の二頭政治と代替り」(『九州史学』109号)

(佐伯弘次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竜造寺政家」の解説

竜造寺政家 りゅうぞうじ-まさいえ

1556-1607 織豊-江戸時代前期の武将。
弘治(こうじ)2年生まれ。竜造寺隆信の長男。豊臣秀吉の九州攻めで功をたて,肥前(佐賀県)の旧領を安堵(あんど)される。天正(てんしょう)18年病弱を理由に隠居を命じられ,国政の実権は重臣の鍋島直茂(なべしま-なおしげ)にうつった。慶長12年10月2日死去。52歳。名は鎮賢。

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