上京町(読み)かみきようまち

日本歴史地名大系 「上京町」の解説

上京町
かみきようまち

[現在地名]大津市京町きようまち一丁目・中央ちゆうおう一丁目・長等ながら二丁目・ふだつじ

西近江路(北国海道)と京町通(東海道)を挟む両側町で、両街道の分岐点には高札が置かれ、札の辻と称された。当町には高札場のほか馬会所・人会所など大津町における東海道宿駅の中枢機能が設けられ、札の辻から逢坂おうさか山へ向かう関清水せきしみず町までの大津八丁には本陣脇本陣をはじめ旅籠などが軒を並べた。文禄五年(一五九六)一〇月の山上村検地帳写(山上町共有文書)に「京町」の名請人がみえる。京町組一三町の西端にあり、組名は上京町組ともいう。上京町としては寛永一九年(一六四二)の触書請状(中京町共有文書)に中京町ほか三ヵ町とともに記される。元禄八年(一六九五)の上京町絵図(上京町月宮会共有文書)によれば家数三八、これには馬会所・人会所および町惣中の家が含まれるが借屋などは含まれていない。同絵図には職種をうかがいうる屋号がみえ、灰屋・枡屋・鍵屋・布屋・米屋など、また商いの活動範囲や商人の出身をうかがわせる丹波屋伊勢屋加賀屋・坂本屋・朽木屋などがある。これにみえる銭屋は、天保期(一八三〇―四四)の記録(大津市志)に記される両替屋西村弥兵衛と考えられる。札の辻の賑いは江戸初期と思われる近江名所風俗図屏風(サントリー美術館蔵)や文化一一年(一八一四)刊の近江名所図会にあますところなく描かれている。この名所図会や東海道分間延絵図をみると、当町と下東八しもひがしはつ町および下西八町との境に木戸門が置かれている。

町内諸般の決定は家持町人のみによる寄合でなされ、借家人は町の正式な構成員とは認められていなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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