上分村
かみぶんむら
[現在地名]須崎市上分
下郷村の西・北部にあり、上郷村ともいう。村の中央部を新荘川が南流し、川沿いに半山郷(現高岡郡葉山村)への道が通る。「土佐州郡志」には「東限桑田山村・多郷・下郷山界、西限明所山大野見界、南下郷、北半山、処々為居、戸凡百八十、口八百四十余」とみえ、村内の地名として谷口・夫領・神母野・横川谷・篠野・田野・比曾谷・道川谷・平野・古川・島・首長・伊才野・寺尾・石淵・落合・依包・垂(樽)谷・遅越をあげる。
古く京都下鴨神社領津野新庄に含まれ、正安三年(一三〇一)に同庄が下地中分されたとき領家分となり、地頭分の下分に対して上分とよばれたと考えられる。
上分村
かみぶんむら
現川之江市の南部に位置し、東と北は下分村、南は金川村、西は妻鳥村に接し、金生川が村の東から北に貫流する。土佐道・阿波道沿いに商家などの並ぶ街村である。
考古学上の遺跡の多い金生川流域としては古墳なども少ない。宇摩郡山田郷に属したとされる。戦国時代には、阿波・土佐両国に近いためもあり、金川村境の轟城などをめぐって攻防が続いた。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇摩郡の項に「上分村 日損所、柴山有、小川有」とある。江戸時代には、天領などを経て宝永元年(一七〇四)から西条藩領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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