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上原浩治 うえはらこうじ

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知恵蔵2015の解説

上原浩治

プロ野球選手。投手。右投げ右打ち。1975年4月3日生まれ、大阪府寝屋川市出身。身長188cm、体重88.5kg。米国メジャーリーグのボストンレッドソックスに所属。
東海大学付属仰星高等学校時代は無名の外野手兼控え投手だったが、1年の浪人を経て入学した大阪体育大学では、1年時からエースとして頭角を現し、3年時には阪神大学リーグ記録となる1試合21奪三振を記録。また、4年時の春季リーグ姫路獨協大学戦でノーヒットノーランを達成するなど、リーグ通算36勝を挙げ、4度の最優秀投手賞を受賞した。
98年のドラフト会議を前に、メジャーリーグ4球団を含む複数球団が獲得の名乗りを上げたが、当時の逆指名制度により読売巨人軍に入団した。
プロ野球では1年目からエースとして活躍。新人としては木田勇(当時日本ハムファイターズ)以来19年ぶりとなる20勝をあげ、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王、沢村賞を受賞。オールスターゲームにも出場した。
その後も、02年には17勝で沢村賞を獲得し、日本シリーズで優秀選手賞を受賞。03年にも16勝を挙げるなど、球界を代表するエースとして活躍した。04年のアテネ五輪、06年のWBC(ワールドベースボールクラシック)などでも勝利をあげ、国際試合での強さも発揮した。
08年11月、FA宣言を行い、メジャーリーグに挑戦することを表明。09年1月、ボルチモア・オリオールズと2年契約で合意し、入団した。4月にはヤンキース戦に先発し、5回1失点でメジャー初勝利。巨人時代の同僚、松井秀喜を3打数無安打に抑えた。
その後は、故障に苦しみながらセットアッパーや抑え投手として活躍。09年から10年に在籍のオリオールズ、11年から12年に在籍のテキサス・レンジャーズで、通算5勝9敗14セーブ
12年12月、FAによりボストン・レッドソックスへ移籍。レッドソックスではシーズン途中の翌年6月から抑え投手としてチームを牽引し、リーグ優勝に貢献。連続打者アウト37人、連続無失点試合27などの記録を残した。リーグ優勝決定シリーズでは1勝0敗3セーブをあげて日本人初のMVPに選出される。ワールドシリーズで、日本人選手として初めての勝利投手となった。

(葛西奈津子 フリーランスライター / 2013年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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知恵蔵miniの解説

上原浩治

プロ野球選手。1975年4月3日、大阪府生まれ。投手、右投げ右打ち。身長186センチ、体重85キロ。高校時代は無名だったが、1年の浪人期間を経て入学した大阪体育大学時代に頭角を現す。98年のドラフトではMLBの4球団を含む日米の複数球団から獲得オファーを受けたが、読売ジャイアンツに入団。プロ1年目の99年に20勝4敗の好成績をあげ、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、新人王と沢村賞も獲得する。その後もチームのリーグ優勝やクライマックスシリーズ優勝に貢献。数々の個人賞を受賞し、球界を代表するピッチャーとなった。2009年から舞台をMLBへと移し、ボルティモア・オリオールズで活躍。テキサス・レンジャーズを経て、12年にボストン・レッドソックスに移籍。13年のリーグ制覇に貢献し、リーグ優勝決定シリーズでは日本人初、ポストシーズンでは09年ワールドシリーズの松井秀喜以来2人目となるMVPに選ばれた。

(2013-10-22)

出典|(株)朝日新聞出版発行
(C)Asahi Shimbun Pubications Inc
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上原浩治
うえはらこうじ
(1975― )

プロ野球選手(投手:右投右打)。4月3日、大阪府生まれ。東海大学付属仰星(ぎょうせい)高時代はまったく無名の存在であった。大阪体育大学に進んでから頭角を現し、1997年(平成9)夏の日米大学選手権で大会タイ記録となる1試合14奪三振をマークした。アメリカ大リーグのニューヨーク・メッツからの勧誘もあったが、逆指名してドラフト1位で1999年に読売ジャイアンツ(巨人)へ入団。1年目から20勝、防御率2.09、奪三振179で投手三冠王となり、新人王、沢村賞とタイトルを独占した。テンポよくストライクを先行させる小気味のよいピッチングにより、たちまちエースの座に上り詰めた。翌2000年は9勝、01年も10勝にとどまったが、02年には17勝でふたたび最多勝を獲得、原辰徳(たつのり)監督に就任1年目での日本一を贈る原動力となり、2回目の沢村賞に選ばれた。同年秋に行われた日米野球では第1戦に先発して、大リーグの強打者バリー・ボンズにまっこうから勝負を挑み、3打数3三振に抑え込んでみせた。2003年は最多奪三振、04年は2.60の数字で最優秀防御率とそれぞれ2回目のタイトルを手にしている。2004年はシーズン途中で日本代表の一員としてオリンピック・アテネ大会に参加し、銅メダル獲得に貢献し、シーズンでも13勝をあげた。2005年は初めて負け越す苦しいシーズンとなり、前年に続き、シーズン終了後にポスティング(入札)による大リーグ移籍を球団に訴えたが、認められなかった。2006年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場、優勝の立役者の一人となる。しかし、シーズンは不調で、2年連続で2桁勝利に届かなかった。[出村義和]

2007年以降

2007年は故障で出遅れ、チーム事情もあって抑え投手として55試合に登板。32セーブ、防御率1.74の好成績でチームの5年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
 2007年までの通算成績は、登板試合250、投球回1459と3分の1、106勝57敗、防御率2.96、奪三振1304、完投54、完封9。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利2回、最優秀投手2回、最優秀防御率2回、最多奪三振2回、沢村賞2回、ベストナイン2回、ゴールデン・グラブ賞2回。[編集部]
『上原浩治著『我慢』(2005・ぴあ)』

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