日本歴史地名大系 「上土田村」の解説 上土田村かみつちだむら 岡山県:岡山市旧賀陽郡地区上土田村[現在地名]岡山市上土田下土田村の北東、足守(あしもり)川の左岸に位置する。足守往来が東の山際を南北に通る。慶長六年(一六〇一)木下家定に土田村三一六石余が与えられた(「徳川家康宛行状」足守木下家文書)。寛永備中国絵図では上土田村とあり、同高、足守藩領。幕末まで同藩領。正保郷帳には「日損所中」とある。正保三年(一六四六)・四年の田畠改帳(難波文書)によれば名請人四三人、うち長兵衛が五町八反余を抱え群を抜くが、慶安五年(一六五二)南方(みなみがた)村から難波理右衛門が入村して庄屋となり、これに代わったと思われる。 上土田村かみつちだむら 茨城県:新治郡千代田村上土田村[現在地名]千代田村上土田水戸街道沿いにあり、北は下土田村・飯田(いいだ)村。弘安大田文に南郡として「土田一丁一段三百歩」とある。天正末期に佐竹氏の支配下に入り、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)に「高百七十石五斗一升」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by