上大岡村(読み)かみおおかむら

日本歴史地名大系 「上大岡村」の解説

上大岡村
かみおおかむら

[現在地名]港南区上大岡東かみおおおかひがし一―三丁目・上大岡西かみおおおかにし一―三丁目・港南中央通こうなんちゆうおうどおり

大岡おおか川の中流東に位置し、東は山を隔てて磯子いそご(現磯子区)、南はせき村、西は松本まつもと久保くぼ最戸さいど三村、北は下大岡(現南区)。村の西を金沢かねさわ道が通り、下大岡村から入り松本村に至る。関村から北流するしん(笹下川)と松本村から東北流する日野ひの川が当村西南部で合流、大岡川となる。小田原衆所領役帳に、萩野「九拾九貫四百卅二文 久良岐郡大賀郷、七拾八貫三百文 同所癸卯検地増」と出る。「風土記稿」は「今も土人は多くをほが村と称す」と記す。永禄六年(一五六三)四月二六日北条家朱印状(県史三)に「久良岐郡富岡・大岡郷」とある。正保国絵図には「大岡村」とあり、元禄国絵図では上下の大岡村に分れる。

近世は元禄一〇年(一六九七)まで幕府直轄領、以後は旗本荒川・倉橋領の二給となる。田園簿は大岡村一村扱いで、日損場として高七二六石余、うち田四五七石余・畑二六九石弱と記す。正保四年(一六四七)年貢割付状(県史六)では高二九五石余、反別は田二六町四反余、畑一七町四反余。寛文五年(一六六五)年貢割付状(同書)では高三一九石余、田二七町四反余、畑二二町六反余と増すが、明治三年(一八七〇)村明細帳(横浜開港資料館蔵)でも三二二石余、田二五町五反余、畑三六町七反余と高においてはあまり変わらない。津出しは森中原もりなかはら村河岸(現磯子区)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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