上宮村
かみみやむら
[現在地名]岩出山町池月 上宮
下宮村の西北にある。南辺を江合(荒雄)川が東から東南に曲流する。西は名生定村(現鳴子町)、対岸南は鵙目村。川沿いの平坦地を除き大部分が丘陵地。河岸段丘面から丘陵先端部にかけて縄文早・前期の草井前遺跡、中期・晩期の土器が出土した荒雄川神社遺跡・自口遺跡のほか縄文晩期の池月沼遺跡、縄文晩期から奈良・平安期にわたる西風遺跡などの遺跡がある。正保郷帳では田二九貫四五二文・畑四貫七五五文、ほかに新田八五四文。安永年間(一七七二―八一)には田三七貫二三一文・畑一〇貫四三七文、うち蔵入は二貫八二五文でほかは給所。
上宮村
じようぐうむら
[現在地名]大正町上宮
仁井田川が広瀬村で南に大きく弧を描いて北に流れを変え、北から流れ出た相去川を合せて再び南流するところ、東・北・西の三面を仁井田川に囲まれた位置にある。上山郷上分の一村。「土佐州郡志」は「東限弘瀬、西北限北之川界、南限打井川村、東西十二町南北十三町、戸凡二十余、其土黒」と記す。
村名は慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳にみえ、当時は喜多川村を構成する一村であった。元禄郷帳によると本田高九三石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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