十日町(読み)トオカマチ

デジタル大辞泉 「十日町」の意味・読み・例文・類語

とおかまち〔とをかまち〕【十日町】

新潟県南部の市。信濃川上流にある十日町盆地中心地。高級絹織物を産する。平成17年(2005)4月、川西町中里村松代町松之山町と合併。人口5.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「十日町」の意味・読み・例文・類語

とおかまちとをかまち【十日町】

  1. 新潟県南西部の地名。信濃川の中流域にある十日町盆地の中心地。豪雪地帯として知られる。十日町明石・お召などの伝統的な絹織物が特産。昭和二九年(一九五四)市制。

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日本歴史地名大系 「十日町」の解説

十日町
とおかまち

[現在地名]山形市十日町一―四丁目

羽州街道沿いのよこ町の南に延びる両側町。西は三の丸の堀を境に十日町口門に対し、南部の西隣は二日ふつか町・八日ようか町、東は北から塗師ぬりし町・ぎん町・蝋燭あかし町・材木ざいもく町が続く。二日町・八日町とともに城下繁華街の中心地で、最上義光は山形城下建設にあたって旧十日町にあった市神石を当地に移し、町割の元標にしたと伝える。最上氏時代城下絵図には「今十日町」とある。旧十日町は三の丸内の正楽しようらく寺と勝因しよういん寺を結んだ地にあったといい、保科氏時代城下絵図(県立図書館蔵)では同所に「元十日町」と記される。町名はかつて正楽寺の門前市が一〇日に開かれていたことにちなむという。

元禄一〇年(一六九七)の屋敷家数等覚(山形故実録)によれば町の長さ六町三一間・幅四間三尺、板橋一・土橋六、家数一二五。横町として札之辻より西方門際まで一町二四間・幅三間一尺。二日町のほう横町へ表通りより二日町境まで五五間・幅三間二尺。


十日町
とおかまち

[現在地名]上山市十日町・松山まつやま一―三丁目・石崎いしざき一―二丁目・河崎かわさき一―二丁目・八日町ようかまち美咲町みさきちよう一丁目・長清水ながしみず一―三丁目・鶴脛町つるはぎちよう二丁目・栄町さかえまち二丁目・北町きたまち一―二丁目・沢丁さわちよう四ッ谷よっや一―二丁目・弁天べんてん一―二丁目・大石おおいし二丁目・朝日台あさひだい一―二丁目・矢来やらい一―四丁目・石堂いしどう南町みなみまち

近世の上山城下の中心地。羽州街道に沿い、上・中・下に分れ、南は二日ふつか町、北は北町に続く。まえ川を東方に移した跡地にできた町である。元和八年(一六二二)以降、町の基礎は最上家浪人の移住によって固められたといわれる。問屋・本陣を兼ねる原田弾十郎、酒屋・紅花問屋で大庄屋を勤める「角の丸屋」は、ともにその祖は最上家浪人と伝える。能見松平氏時代は最上浪人も定着し、商業や旅籠屋を営む町人となり、商家の数も増し月九回の市も立つようになった。


十日町
とおかまち

[現在地名]鶴岡市本町ほんちよう一―二丁目・昭和町しようわまち神明町しんめいちよう

三日みつか町の南にあり、うち川に架かる十日町橋から東へ延びる道に沿った町人町。下肴しもさかなとおり丁と直角に交差する。当町では七月一〇日に市が立てられており(明和七年「御国目付へ御答書」光丘文庫蔵)、町名はこの市日に由来する。慶長八年(一六〇三)町割され、当初のちの郭内馬場ばば町辺りにあったが、元和八年(一六二二)の酒井氏入部後の郭内拡張により、寛永元年(一六二四)内川東岸の現在地へ移転した。初め三日町うら町とよばれていたが、承応年間(一六五二―五五)に十日町と改められた(大泉掌故)。延宝六年(一六七八)の城下絵図では十日町一五八間・七〇間とある。


十日町
とおかまち

[現在地名]小林市細野など

細野ほその村内にあった小林郷の野町の一。十日市とも記される(三国名勝図会)上細野かんほそのの東方にある。長さ二町・幅三〇間(日向地誌)。古代性空が小林の宝光ほうこう院で修行中、夷守ひなもり駅の繁盛を見て開設したという伝説をもち、「三国名勝図会」には都では遠方にあることから遠ヶ市とよばれたとある。また明治三年(一八七〇)の小林誌(赤木家文書)によると、旧記には霧島山にちなみ霧島の町、鷹導山宝光院にあやかり鷹導おとう町とも称したとあり、同書はこの町名由来を、にわかに信じ難く年に十日の市を立てることから始まったのだろうとしている。


十日町
とおかまち

[現在地名]姶良町東餅田

別府べつぷ川河口の大口筋沿いにあった東餅田ひがしもちだ村の町場。近くに別府川の渡船場がある。かつては浦水手役を負担する水手町(浦町)であったが、火事のため町中が類焼し飢餓に陥った。そのため他の水手町と同様の水手役が負担できなくなったので野町にしてほしいと訴え、これを認められた。その後、田畑がなく製塩で暮しを立てていたが、塩浜も壊れたので総人数のうち名頭十家内と名子二家内を半浦にしてほしいと願出て、享保一四年(一七二九)にこれを許された。当時の人数二七一、名頭二七家内・名子一〇家内。また半浦となったことによって御船手の管轄下に入り、宗門手札改は御船手が行った(以上「列朝制度」)

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改訂新版 世界大百科事典 「十日町」の意味・わかりやすい解説

十日町[市] (とおかまち)

新潟県南部の市。2005年4月旧十日町市と川西(かわにし),松代(まつだい),松之山(まつのやま)の3町および中里(なかさと)村が合体して成立した。人口5万8911(2010)。

十日町市北部の旧町。旧中魚沼郡所属。人口8185(2000)。信濃川中流の西岸にあり,東部は十日町盆地の北西を占め,西部は東頸城(ひがしくびき)丘陵と信濃川の支流渋海(しぶみ)川の谷からなる。おもな集落は信濃川の段丘面に分布し,盆地内では最大の米作地域となり,魚沼コシヒカリの産地として知られる。中心地の千手(せんじゆ)は近世には善光寺街道の馬継場で,馬市でも知られた。絹織物で有名な旧十日町市,小千谷市に隣接し,縮織の出機(でばた)地域でもあった。1931年から信濃川段丘崖の比高を利用した千手発電所の建設が始められ,首都圏のJRの電力を供給している。西部の渋海川流域の仙田地区は古くは仙田紙の産地として知られた。
執筆者:

十日町市東部,信濃川中流域にある旧市で,十日町盆地の中心をなす機業都市。1954年市制。人口4万3002(2000)。信濃川の河岸段丘が発達し,市街地もその上に立地する。《吾妻鏡》文治2年(1186)条にみえる波多岐(はたき)荘は旧十日町市と旧中魚沼郡のほぼ全域とみられるが,中世後期には一般に妻有(つまり)荘と呼ばれるようになった。十日町はその名のとおり市が立ち,善光寺街道や南魚沼郡に通じる道と信濃川舟運の要衝として発展した。江戸時代は高田藩領,天領を経て会津藩の預所となった。また御用縮として知られる縮布生産が盛んとなり,小千谷,堀之内とともに縮市で盛況をみせたが,幕末からは養蚕と絹織物に転じた。

 明治末期から昭和初めにかけて透綾(すきや)ちりめんが開発されて,夏着尺〈十日町明石〉として名を博し,十日町機業が確立する。昭和初期の世界的不況のあおりを受けたが,秋・冬物用の〈意匠白生地〉の生産開始により戦後の不振も乗り越え,十日町御召の全盛期を迎えた。石油危機以後は停滞ぎみであるが,繊維工業は市の工業出荷額の45%(1995)を占めており,1983年開設の地場産業振興センターを中心に〈絹の都市構想〉が進められている。豪雪地であるが,1981年〈克雪都市〉を宣言した。無雪道路の確保や流雪溝の整備をすすめている。毎年2月の第2土・日曜日には雪祭が行われる。JR飯山線(1927年開通)と北越急行ほくほく線(1997年開通)が通じる。
執筆者:

十日町市南部の旧村。旧中魚沼郡所属。人口6422(2000)。十日町盆地南部にあり,信濃川と支流清津川の河岸段丘上に集落と耕地が発達する。清津川東岸低位段丘面の桔梗(ききよう)原は,天明年間(1781-89)に田沢村庄屋村山五郎兵衛によって開田された。上位段丘面は水利が悪く,第2次大戦前までは粗放的な切替畑に利用されていたにすぎなかったが,1966年から国営のパイロット事業がすすめられ,清津川の水を揚水し,200haが水田化された。苗場山麓の大湿原小松原は71年から開拓がすすめられ,高原野菜の栽培が行われている。桔梗原には養魚センターが設けられ食用コイ,ニシキゴイの養殖が盛ん。92年,国道117号線拡幅に伴って大規模なショッピングセンターが完成し,近隣市町村からの集客がある。旧十日町市に隣接し絹織物の出機地域でもある。南部の山地は上信越高原国立公園に属し,清津峡は名勝・天然記念物に指定されている。

十日町市西部北寄りの旧町。旧東頸城郡所属。人口4240(2000)。東頸城丘陵東部にあり,町域の中央を渋海川が北流する。川沿いに狭い平地が点在するほかはほとんどが山間傾斜地で,全国有数の豪雪地として知られる。古くは松之山町地域とともに松之山郷とよばれた。中心地松代は近世には高田と十日町を結ぶ街道の宿場であった。東部には近世中期に渋海川の瀬替えによって開かれた松代大新田がある。主産業は稲作を中心とする農業であるが,耕地の多くは棚田で生産性は低い。冬季の出稼者が多く,古くから越後杜氏(とうじ)の出身地として知られる。過疎化が著しく,近年の人口減少率は県内では最高で,1975-80年の減少率は14%に達した。1974年からは上越線六日町と信越本線犀潟を結ぶ北越急行ほくほく線が97年開通し,松代駅がある。犬伏近くにある松苧(まつお)神社は旧松之山郷66ヵ村の総鎮守で,社殿は重要文化財。

十日町市西部南寄りの旧町。旧東頸城郡所属。人口3184(2000)。東頸城丘陵東部を占め,渋海川と支流の越道(こしど)川,東川が北流する。古くは松代町地域と合わせて松之山郷と呼ばれた。豪雪と地すべり地帯として知られ,1962年と64年に松之山地区を襲った大地すべりは大被害をもたらし,過疎化に拍車をかけた。81年国道305号線の豊原トンネルが開通し,交通事情は著しく改善された。農業を中心とするが,生産力の低い天水田の棚田が多く,古くから出稼ぎも多い。近年はタバコの生産が盛んである。松之山温泉(純食塩泉,98℃)は越後三名湯の一つに数えられ,薬湯として著名。近くにある鏡ヶ池は謡曲《松山鏡》の舞台である。湯山に大ケヤキ(天)がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「十日町」の意味・わかりやすい解説

十日町(市)
とおかまち

新潟県南部、信濃川(しなのがわ)上流にある十日町盆地の中心をなす織物の町。1954年(昭和29)十日町と中条(なかじょう)、川治(かわじ)、六箇(ろっか)の3村が合併して市制施行。同年吉田村を編入。2005年(平成17)中魚沼(なかうおぬま)郡川西町(かわにしまち)、中里村(なかさとむら)、東頸城(ひがしくびき)郡松代町(まつだいまち)、松之山町(まつのやままち)を合併。古くは妻有庄(つまりのしょう)とよばれ、現在はJR飯山線(いいやません)、北越急行ほくほく線が通じ、国道117号、253号の交差する交通の要衝になっている。国道403号、252号も通る。近世、高田藩の魚沼八組の割元(わりもと)町として栄え、近世中期以後は会津預領の陣屋町が置かれた。この間、魚沼地方の名産小千谷縮(おぢやちぢみ)の四大市場の一つになり、盆地内の手織縮(てばたちぢみ)を集散する問屋町として発展した。近世末には縮が衰退し始めたので、1820年(文政3)ころから高機(たかはた)を導入した絹縮の透綾(すきや)織にかわり、近代は「十日町明石(あかし)」の名で「東の西陣(にしじん)」とよばれる高級絹織物産地に発展した。高位段丘と豪雪地帯で有名な十日町は、例年2月の第3土~日曜日に「雪まつり」が行われる。雪の芸術展と着物ショーを中心に、鳥追(とりお)い、ほんやら洞(どう)、十日町太鼓などの雪国の民俗行事が盛大で、全国から多くの観光客を集めている。稲作のほか高位段丘面は原(はら)とよばれる高原台地で、雑穀、杉苗、イチゴの特産がある。1999年(平成11)、深鉢形土器群(火焔型、王冠型を含む)などの笹山遺跡出土品は新潟県初の国宝に指定された。越後縮(えちごちぢみ)の紡織具および関連資料は国の重要有形民俗文化財に指定され、前述土器群とともに十日町市博物館に収蔵されている。松之山、十日町、清津峡の温泉郷があり、観光の町としても名高い。面積590.39平方キロメートル(一部境界未定)、人口4万9820(2020)。

[山崎久雄]


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百科事典マイペディア 「十日町」の意味・わかりやすい解説

十日町[市]【とおかまち】

新潟県南部,信濃川中流の十日町盆地を占め,東頸城(ひがしくびき)丘陵東部を含む市。1954年市制。飯山線,北越急行ほくほく線が通じる。市名は十日に一度市が立ったことに由来する。古くから手機(てばた)が発達,十日町明石縮(ちぢみ)の産地として知られ,現在も御召など高級絹織物を多産し,繊維工業は主要産業で,市の製造品出荷額は503億円(2003)。全国有数の豪雪地帯で,2月の雪祭は札幌雪まつりと並んで有名。西部に松之山温泉がある。2005年4月中魚沼郡川西町,中里村,東頸城郡松代町,松之山町を編入。東日本大震災で,市内において被害が発生。590.39km2。5万8911人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の十日町の言及

【越後国】より

…また村上,村松等の茶産地が発展した。麻織物は元禄年間幕府の御用縮として指定を受けたため魚沼地方で縮生産が振るい,十日町では文政年間(1818‐30)宮本茂十郎が西陣の技法を伝えて絹麻交織が始まった。栃尾,五泉,山辺里(さべり)等にも絹織物産地が成立した。…

※「十日町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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