上
後町
かみちくごまち
[現在地名]長崎市玉園町
西上町の北東、岩原川右岸にある長崎外町の一ヵ町で、陸手に属した。町並は東西に形成され、西は下筑後町に隣接する。はじめ筑後町のうちで、寛文一二年(一六七二)の大町の分割策に伴い上筑後町・下筑後町の二町に分立している。同年の間数二八二間・実箇所数六五・諸役御免箇所三(長崎県史)。文化五年(一八〇八)の長崎市中明細帳では町の縦の長さ一四五間余・幅平均二間余で坪数四千二七坪余(地子銀七八三匁六分)、箇所数六七、竈数八七・人家一一四、人別二七三、聖福寺・普門院・浄操庵・永昌寺・観善寺があり、醤油酢造高一五石。
上後町
かみうしろまち
[現在地名]能代市上町・大手町
明治六年(一八七三)の「士族卒明細短冊」(秋田県庁蔵)に上後町の称があるのが初出。文化年間(一八〇四―一八)の能代町絵図(県立秋田図書館蔵)にある後町東端の給人屋敷を主に、新町と中山小路の東側と西光寺を合わせて上後町とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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