日本歴史地名大系 「上徳丸村」の解説 上徳丸村かみとくまるむら 大分県:大分市旧鶴崎市地区上徳丸村[現在地名]大分市丸亀(まるがめ) 上徳丸大野川と乙津(おとづ)川に挟まれた輪中地域の大野川に沿って下徳丸村の南に位置する。慶長豊後国絵図に村名がみえる。江戸時代を通じて肥後熊本藩領。高田手永洲ヶ在八ヵ村のうち。宝暦七年(一七五七)岡松作右衛門が高田手永惣庄屋に任命されて以降、高田手永会所が置かれた。枝村として西に亀甲(かめこう)村があり、亀甲村の枝村として大鶴(おおつる)村があるが、文化一〇年(一八一三)当時亀甲村には庄屋がいた(「高田風土記」など)。 上徳丸村かみとくまるむら 鳥取県:八頭郡八東町上徳丸村[現在地名]八東町徳丸(とくまる)徳丸村に隣接し、若桜(わかさ)往来が通る。徳丸村の枝郷であるが、元禄郷帳・元禄国絵図作成時に高分され、独立村として収載された(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。元禄郷帳によると高三九二石余。正徳元年(一七一一)の郷村高辻帳では一八八石余(拝領高相当分)。本免五ツ二分。享保元年(一七一六)の高四一五石余、うち田高三三二石余(免五ツ二分)・畑高八二石余(免四ツ五分)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by