日本歴史地名大系 「上有知町」の解説 上有知町こうずちまち 岐阜県:美濃市上有知町[現在地名]美濃市 殿町・泉町・本住町・加治屋町・常盤町・魚屋町・相生町・俵町・永重町・吉田町・港町など江戸時代、現美濃市の市街部に位置した在郷町で町方とよばれた。郡上(ぐじよう)街道の宿場的性格も果した。前身は天文年間(一五三二―五五)鉈尾山(なたおやま)城主となった佐藤氏の城下町で、現在の下渡(しもわたり)地区南方の六反(ろくたん)とよばれる水田地帯にあったとされ、古町(ふるまち)・古城跡(こじようあと)・小者町(こものまち)などの地名が残る。その後、金森長近は小倉(おぐら)山に城館を築き、長(なが)ノ瀬(せ)谷を隔てた向い側山麓の亀野(かめの)に町の縄張りを行った。慶長一一年(一六〇六)古町からの移住が命ぜられ、飛騨高山などの城下造営方式を踏襲し、東西に走る二筋と、これを直角につなぐ小路(横町四筋)からなる矩形(東西二五〇間・南北七〇間)の町割がなされた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by