朝日日本歴史人物事典 「上杉斉憲」の解説
上杉斉憲
生年:文政3.5.10(1820.6.20)
幕末の米沢(山形県)藩主。父は上杉斉定。幼名は鶴千代,号は曦山。天保10(1839)年襲封した。藩政においては軍制改革に努め,文久3(1863)年京警衛を幕府より命じられた際に観兵式で西洋式操練を見せた。同年,攘夷親征の猶予を奏請する一方,8月18日の政変後の長州藩を弁護した。鳥羽・伏見の戦(1868)が勃発すると,秋田・盛岡・仙台諸藩と共に会津藩征討を命じられたが,諸藩代表と白石城に集合,協議して同藩赦免を奥羽鎮撫総督に嘆願した。それが却下されたため奥羽越列藩同盟を結ぶに至る。明治1(1868)年9月いち早く降伏し,子の茂憲が会津征討に参加したため寛典に処せられ,12月に命じられて隠居した。<参考文献>『米沢市史』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報