上杉斉憲(読み)うえすぎ なりのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉斉憲」の解説

上杉斉憲 うえすぎ-なりのり

1820-1889 江戸時代後期の大名
文政3年5月10日生まれ。上杉斉定の子。天保(てんぽう)10年出羽(でわ)米沢藩(山形県)藩主上杉家12代となる。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽鎮撫総督府に陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)への寛大な処置をのぞんだが拒否され,陸奥仙台藩主伊達慶邦(よしくに)と奥羽越列藩同盟を組織。敗れて隠居を命じられた。明治22年5月20日死去。70歳。通称は喜平次。

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367日誕生日大事典 「上杉斉憲」の解説

上杉斉憲 (うえすぎなりのり)

生年月日:1820年5月10日
江戸時代末期;明治時代の大名
1889年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上杉斉憲の言及

【奥羽越列藩同盟】より

…6月に,盟主は,輪王寺宮に変えられて,諸藩の平等な連合の性格が打ち出され,公議府を白石城に置いた。総督に仙台藩主伊達慶邦(よしくに)と米沢藩主上杉斉憲(なりのり),参謀に旧幕臣の小笠原長行(ながみち),板倉勝静(かつきよ)を任じて指導部とし,全国的な反新政府の戦略を構想し,新政権樹立を意図する動きもあった。同盟軍は,一部で勝利を収めたものの,北陸では,かなめとなる長岡藩が7月に敗北し,東北でも,同じく7月に秋田藩が同盟を脱退して苦境に陥った。…

※「上杉斉憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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