日本大百科全書(ニッポニカ) 「スケッチ・ブック」の意味・わかりやすい解説
スケッチ・ブック
すけっちぶっく
Sketch Book
アメリカの作家、W・アービングの短編・随筆集。ジェフリー・クレヨンGeoffrey Crayonという筆名で書いた随筆・短編小説など34編を集めた作品で、アメリカでは1819年から1820年にわたって分冊の形で、イギリスでは1820年に1冊の本として出された。数年の間にドイツ語、フランス語にも訳されて、この作品によりアービングはアメリカ最初の国際的な作家となった。収録されたもののほとんどは「ウェストミンスター寺院」「ジョン・ブル」などイギリスの古い伝統をしのんだり、イギリス人の国民性・風俗習慣について、ユーモアを交えたロマンチックな観察だが、うち6編はアメリカを背景にした作品で、「リップ・バン・ウィンクル」「スリーピー・ハローの伝説」などがある。二つとも、ヨーロッパ旅行中に得たライン川地方の民俗伝承をアメリカの風土に取り入れたものである。
とくに「リップ・バン・ウィンクル」は短編としてのおもしろさから、各国に読者をもち、英語の教科書として広く読まれた。話の粗筋は、ハドソン河畔のオランダ系移民の村にリップ・バン・ウィンクルという、妻に頭のあがらない好人物がいて、ある日、愛犬とともに妻の小言から逃れて山中に入り、奇妙な姿のオランダ人の一団に会う。酒をふるまわれ、すっかり寝込んでしまい、一夜を山中で過ごす。翌日起きて村へ帰ってみると、村はすっかり変わってしまっていて、一夜のうちに20年もたってしまっていた。時代も植民地時代からアメリカは独立国になっていた。うるさい妻もすでに亡く、娘一家と過ごすことになるというものだが、リップは後のアメリカ的人物の典型の一つとなる。筋が「浦島伝説」に似ているので森鴎外(おうがい)が1889年(明治22)「新世界の浦島」として発表して以来、邦訳は10冊を超える。
アービングのほとんどの作品はヨーロッパの模倣からアメリカ的なものをつくりだそうと模索したものだが、彼の視点はヨーロッパの文化にたってのアメリカ観察で、古い文化に対する懐古趣味もそのためである。しかし、もっとも成功した『スケッチ・ブック』のなかの作品には、当時のアメリカ社会の変容を暗示するとともに、その後のアメリカ短編小説の技法に貢献した点のあることは無視できない。
[秋山 健]
『『スケッチ・ブック』(高垣松雄訳・岩波文庫/田部重治訳・角川文庫/吉田甲子太郎訳・新潮文庫)』