日本歴史地名大系 「上河崎村」の解説 上河崎村かみかわさきむら 石川県:加賀市上河崎村[現在地名]加賀市上河崎町・吸坂町(すいさかまち)大聖寺(だいしようじ)川中流右岸の平地に位置し、略して「かみかわ」ともいう。対岸は当村ほか三ヵ村の出村である吸坂。もとは西隣下河崎村とともに山代(やましろ)庄河崎のうちで河崎は川崎とも書いた。天文二四年(一五五五)とみられる八月二四日の朝倉教景書状(武家事紀)に「敷地・上河崎」あたりまで一向一揆勢を追落したとあるので、この頃までには上・下に分れていたと考えられる。もと当地にあった専称(せんしよう)寺蔵の宝徳元年(一四四九)一一月一八日付の親鸞絵伝裏書に「加州江沼郡山城庄川崎専称寺住持願主釈真光」とあり、寺伝によれば同寺は越中国礪波(となみ)郡野尻(のじり)郷川崎(かわさき)村(現富山県福野町)で創建、文安五年(一四四八)八世真光のとき山代庄に移転したが河崎専称寺と称したため、地名も河崎となったという(天保由緒書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報