上滝野村(読み)かみたきのむら

日本歴史地名大系 「上滝野村」の解説

上滝野村
かみたきのむら

[現在地名]滝野町上滝野

加古川中流の右岸にあり、北は平野ひらの新田村板波いたば(現西脇市)。もとは西接する下滝野村とともに滝野村と称した。天正一八年(一五九〇)二月五日の孫七田地売券(光明寺文書)によると、「滝野村かやの孫七」が滝野村の西野にある田地を売却している。慶長国絵図には当村付近に「北滝野」「中条」「西村」とみえる。元和三年(一六一七)の滝野村免状(阿江家文書)では高一千一四九石余、租率五一パーセント。寛永五年(一六二八)上滝野村と下滝野村に分村したとされ(元文二年「滝野組明細帳」上滝野漁業組合文書)、同年の滝野村免状(同文書)では上滝野村の高五八七石余、租率四四パーセント。しかし正保郷帳では滝野村一村で高付され、田方七五七石余・畠方一八五石余。寛文七年(一六六七)の上滝野村免状(阿江家文書)では高六五〇石余、租率五四パーセント。元禄郷帳には「古ハ滝野村」と注記されて上滝野村が載り、高四七六石余。天保郷帳では高七二六石余。江戸時代を通じて姫路藩領(正保郷帳、「寛文朱印留」、貞享元年「本多忠国領知目録」本多家文書、寛延四年「酒井忠恭領知目録」酒井家史料、旧高旧領取調帳など)。当村は加東郡二一ヵ村・加西郡一一ヵ村を束ねる姫路藩滝野組大庄屋(阿江家)が所在する在郷町であった(「大庄屋勤方につき申渡」酒井家史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android