椿井村
つばいむら
[現在地名]山城町大字椿井
東部の山地と木津川に至る西部低地との間の丘陵端に位置し、集落は南北に連なる。集落のなかを奈良街道が通る。南は林村、北は椿井村枝郷の北河原村。狛村八村の一。椿井の名は「経覚私要鈔」文明三年(一四七一)六月四日条に「山城椿井等ニ有新城」と記されるのが早い。
古代は大狛郷、中世は狛野庄の地。室町期は狛野庄の北庄の中心集落であった。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳によれば、禁裏御料(七四六石余)と幕府領(一三二石)。
椿井村
つばいむら
[現在地名]山鹿市椿井
南境から西境を菊池川が北流し、東は麻生野村、北は岩村(現玉名郡三加和町)と接する。村名は「国誌」や「鹿郡旧語伝記」によると村内にあった椿井という泉によるという。慶長九年(一六〇四)の検地帳によると田一五町余・畠一四町九反余・屋敷一五筆一町三反二畝余、分米三〇一石五斗余。正保郷帳では高三〇一石五斗余、うち田一八四石七斗余・畠一一六石七斗余とある。近世は山鹿手永に属する。文政九年(一八二六)の同手永書付によると竈数三一・人数一六八、馬二六、在宅一・給人三。明治一二年(一八七九)頃の戸数四〇・人数一九六、馬三六、日本型船三(五〇石未満荷船一・漁舟二)。
椿井村
つばいむら
矢田丘陵西麓、竜田川東岸に所在。若井村の弘法井、岩井村の岩井とともに、平群三ツ井戸と称された椿井が現存し、近年まで使用されていた。
慶長郷帳には「椿尾村」とあり村高四〇七・八七石。慶長六年(一六〇一)には竜田藩(片桐且元)領。明暦元年(一六五五)片桐氏改易で幕府領。寛文五年(一六六五)以降楽人領。旧高旧領取調帳には、椿井村上方(一八八・〇八一石)、椿井村下方(二一九・七八四石)とみえる。「大和志」に平群郡の物産として油があげられ「以水碓、製之 竜田及椿井村」とみえ、水車利用の絞油業が盛んであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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