日本歴史地名大系 「上野廃寺」の解説
上野廃寺
うえのはいじ
「続風土記」は当寺を「廃薬師寺」と記し、当地の北山の麓にあり、真言宗新義派の寺で覚鑁(一〇九五―一一四三)の開基になり、七堂伽藍を備えていたが、天正年中(一五七三―九二)の兵火で焦土となったと記す。しかし昭和四二年(一九六七)の緊急発掘調査の結果、七世紀の瓦が多数出土した。東西両塔を備えていることからも薬師寺式に類する伽藍配置と考えられる。両塔の心礎間の距離は四一メートルで、その中間点から南二七メートルの地点で、中門と回廊の基壇が発見された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報