日本歴史地名大系 「上高場村」の解説 上高場村かみたかばむら 福岡県:朝倉郡三輪町上高場村[現在地名]三輪町上高場現三輪町域の西端にあり、中央を草場(くさば)川が西に流れ西境の谷川と合流する。中世は西側にある下高場村(現夜須町)とともに鷹場(たかば)村に含まれた(夜須町の→鷹場村)。「続風土記」は枝村として山隈(やまぐま)村・大久保(おおくぼ)村をあげ、高畠(たかばたけ)村を村内とする。元和(一六一五―二四)の末年に山隈村が分れ、文政三年(一八二〇)に高上(たこえ)村が分れたとされる(地理全誌)。慶長石高帳に上高場村とみえ、慶長七年(一六〇二)の検地高一千四六六石余、うち大豆一九四石余。 上高場村かみたかばむら 茨城県:勝田市上高場村[現在地名]勝田市高場(たかば)大(おお)川が村内を流れ、西は稲田(いなだ)村。六地蔵寺過去帳(六地蔵寺蔵)に「鏡仙禅門鷹場住」とみえ、室町時代には鷹場とも異記された。周辺は鷹狩を行う原野であったとされる。明応年間(一四九二―一五〇一)の「当乱相違地」(秋田藩採集文書)に「一、高場額田知行人足等 江戸違乱」とみえ、この頃佐竹氏の領地であった高場は侵略され、江戸但馬守の領地になった。「水府志料」の菅谷(すがや)村(現那珂郡那珂町)の項に「平野豊前重資と云者住り。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by