勝田市(読み)かつたし

日本歴史地名大系 「勝田市」の解説

勝田市
かつたし

面積:七四・三四平方キロ

久慈川と那珂川の間に横たわる那珂台地一角を占め、北はしん川を境に那珂郡東海村、南は那珂川を挟んで水戸市、西は台地続きに那珂郡那珂町があり、東には那珂湊市が続く。台地は標高二五―三〇メートルの平坦地で、南部は那珂川沿いに沖積地が広がる。南流して那珂川に入る早戸はやと川・中丸なかまる川・本郷ほんごう川・おお川の小河川が那珂台地を浸食し、半島状の津田つだ台地・三反田みたんだ台地・中根なかね台地を形づくり、北部には新川浸食谷が樹枝状に入込む。南の常総平野と北の多賀山地の接線付近にあり、自然条件に恵まれ、早くから人々が住みつき、多くの遺跡を残した。

〔原始〕

原始・古代の遺跡が非常に多い。一四ヵ所もの先土器時代の遺跡が発見され、中根後野うしろの遺跡はシベリア大陸を含む北方系の石器文化の代表例とされる。縄文時代の土器は津田黒袴くろばかま天神山てんじんやま西中島にしなかじま上馬場かみばば勝倉の大房地かつぐらのおおぼつち金上の平井かねあげのひらい相対あいたい遠原とおばら、三反田の蜆塚しいづか羽黒はぐろ高井たかい天王前てんのうまえ岡田おかだ大平おおだいら東石川ひがしいしかわの演習場内・向山むこうやま新堀にいぼり大島おおしま稲田いなだおいつか、中根のきみだい大和田おおわだ薬師台やくしだい笠谷かさや館出たてだし富士山ふじやま石光いしこう深谷津ふかやづ指渋さしぶ西中根にしなかね長堀ながほり長砂の原山ながすなのはらやまはなわたて足崎の西原たらざきのにしはら原の寺はらのてら高野の寺畑こうやのてらばたけ・富士山・東原ひがしはら神田じんでんなど、那珂川を望む台地縁辺や中丸川や本郷川周辺の台地に集中して発見される。

弥生時代の遺跡も市域南部の台地縁辺部に多い。津田・三反田・中根の各台地には大きな集落が形成されていた。とりわけ東中根遺跡出土土器は東中根式土器とよばれ、土器編年上の一標準となっている。東石川外野そとの・金上・勝倉・大平馬渡まわたり・足崎・津田・三反田・田彦たびこ・稲田老ノ塚・高野二ッ森ふたつもり・中根長堀・中根虎塚とらづかなどに、古墳時代中期・後期とされる中小規模の古墳が群をなして存在する。十五郎穴じゆうごろうあな横穴群・虎塚古墳・馬渡埴輪製作遺跡もこの時代の代表的な遺跡である。

〔古代〕

古墳文化の伝播は大和朝廷の勢力拡大と結び付いており、市域は四世紀末頃からその勢力圏に入り、那賀国造の支配下に置かれた。「和名抄」に載る郡郷のうち市域を含むものは「新編常陸国誌」によれば那珂郡の武田たけた郷・岡田郷・幡田はた郷および久慈郡美和みわ郷である。「日本後紀」や「延喜式」に山田駅がみえ、「新編常陸国誌」には「弘仁中駅路」として「曾禰ヨリ山田ニ至リ、(中略)コヽニテ両路トナル、一ハ多珂郡田後駅ニ達シ、サテ奈古曾関ヲ経テ陸奥ニ入レリ、一ハ山田ヨリ(中略)久慈郡雄薩駅ニ至リ、明神坂ヲ越テ陸奥ニ入リタリ」と記され、「山田ハ今ノ那珂郡勝倉ト見エタリ、長者ノ宅趾存ス」と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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