日本歴史地名大系 「上高柳村」の解説 上高柳村かみたかやなぎむら 愛媛県:伊予郡松前町上高柳村[現在地名]松前町上高柳現松前町の北部、村の北を重信(しげのぶ)川が東西に流れ、東は大間(だいま)村、西は北江頸(きたえくび)村に接する。もと高柳村が分村したもので、寛永初年の伊予一国図(大洲市加藤家蔵)では高柳村とあり、現西高柳の地を高柳内と記している。これが五〇年後の元禄元年(一六八八)の「伊予郡廿四箇村手鑑」では上高柳村・下高柳村の二村となっている。「伊予古蹟志」は高柳の村名由来として、<資料は省略されています>とある。戦乱のため農地は荒れて国近(くにち)川のほとりは楊柳の茂るに任せたことによるとする。 上高柳村かみたかやなぎむら 埼玉県:北埼玉郡騎西町上高柳村[現在地名]騎西町上高柳南は騎西領用水を隔てて日出安(ひでやす)村に対し、西は戸崎(とさき)村、東は下高柳村(現加須市)。集落は同用水左岸の自然堤防上に東西に連なる。古くは下高柳村と一村であったという(風土記稿)。田園簿によれば田高五四四石余・畑高三九〇石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高一千二二石余、反別は田方五九町六反余・畑方四〇町一反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by