下別府村(読み)しもべつぷむら

日本歴史地名大系 「下別府村」の解説

下別府村
しもべつぷむら

[現在地名]宮崎市吉村町よしむらちよう田代町たしろちよう小戸町おどちよう中西町なかにしちよう出町でちよう

吉村の南にあり、大淀川河口北岸に位置する。東は日向灘に面する。元禄国絵図にはシモノベフと訓が付され、「しもびゅう」ともよばれる。「日向記」によると、文安五年(一四四八)一〇月一〇日、伊東祐尭は下別府で犬追物を催して、都於郡とのこおり(現西都市)に着座した島津忠国をもてなしている。弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)によると、下別府一ノ宮領宝同寺格護分として瓜生野うりゆうのなどに合せて田数三町五反と屋敷二ヵ所があり、また下ノへう八幡領として吉村などに田数一町三反余・一町四反余があった。「上井覚兼日記」天正一一年(一五八三)一〇月七日条によると、島津氏が肥後堅志田かたしだ(現熊本県中央町)を攻撃した際、島津以久・同忠長・伊集院忠棟の手勢として下別府衆も参加している。

下別府村
しもべつぷむら

[現在地名]谷田部町下別府

中別府なかべつぷ村の南、西谷田にしやた川西岸に位置。江戸時代には天領で、後期には岡田寒泉が代官であった(岡田寒泉功徳碑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android