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岡田寒泉 おかだかんせん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡田寒泉
おかだかんせん

[生]元文5(1740).11.4. 江戸
[没]文化13(1816).8.9.
江戸時代後期の朱子学派の儒学者。江戸の人。松平定信により儒官に登用され,のち常陸国の代官となる。寛政の三博士の一人。著書『幼学指要』『祭礼略義』。

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デジタル大辞泉の解説

おかだ‐かんせん〔をかだ‐〕【岡田寒泉】

[1740~1816]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は恕(はかる)。通称、清助。松平定信に登用され、朱子学振興に努力した。著「幼学指要」。

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百科事典マイペディアの解説

岡田寒泉【おかだかんせん】

江戸中期の儒学者,民政家。江戸の人。崎門学派村士玉水(むらじぎょくすい)の門人。寛政(かんせい)改革の際,柴野栗山とともに昌平坂学問所の教官を務め,栗山,尾藤二洲とともに寛政の三博士の一人にあげられる。
→関連項目寛政の三博士

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡田寒泉 おかだ-かんせん

1740-1816 江戸時代中期-後期の儒者。
元文5年11月4日生まれ。村士(すぐり)玉水にまなぶ。寛政元年幕府の儒官に登用され,柴野栗山とともに学制の改革にあたった。6年常陸(ひたち)の代官となる。栗山,尾藤二洲(じしゅう)とともに寛政の三博士とよばれた。文化13年8月9日死去。77歳。江戸出身。名は善里,恕(はかる)。字(あざな)は子強。通称は又次郎,清助。別号に泰斎。著作に「幼学指要」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

岡田寒泉

没年:文化13.8.9(1816.8.31)
生年:元文5.11.4(1740.12.22)
江戸中・後期の儒学者。幕府代官。名は初め善里,のちに恕,字は初め中卿,のちに子強,通称清助。号は泰斎,寒泉。1200石の旗本岡田善富の次男として江戸に生まれた。武芸のほか,兵学を村士淡斎に,詩文を井上金峨に学んだ。淡斎の子玉水は山崎闇斎系の稲葉迂斎に儒学を学び,寒泉も玉水に師事して闇斎系朱子学を奉じた。医理にも通じていたという。寛政1(1789)年,幕府に儒者として登用され,2年,柴野栗山と共に聖堂取締を命ぜられて,松平定信政権の下での学制改革に尽力した。6年代官に転じ,常陸国内の182カ村を管轄しながら昌平黌の講師も務めた。代官としては荒廃の進む農村の立て直し,人口回復に尽力し,同時期の早川正紀,竹垣直温と共に名代官とされ,各地に「岡田大明神」の石祠や顕彰の石碑が建てられた。著書に『幼学指要』などがある(『日本文庫』10所収)。<参考文献>重田定一『岡田寒泉伝』

(梅澤秀夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

おかだかんせん【岡田寒泉】

1740~1816) 江戸中・後期の儒者。江戸の人。名は恕はかる、通称、清助。松平定信の登用をうけ、寛政異学の禁を推進した。柴野栗山・尾藤二洲とともに寛政の三博士といわれた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡田寒泉
おかだかんせん
(1740―1816)

江戸後期の儒学者。幕府代官。名は善里(よしさと)。のち恕(はかる)。字(あざな)は中卿(ちゅうけい)、子強(しきょう)。通称清助、号は泰斎(たいさい)、寒泉。1200石の旗本岡田善冨(よしとみ)の次男として江戸に生まれた。武芸のほか、兵学を村主淡斎(すぐりたんさい)に、詩文を井上金峨(きんが)に学んだ。また、淡斎の子村主玉水(ぎょくすい)から山崎闇斎系の朱子学を学んだ。1789(寛政1)幕府に儒者として登用され、翌年、柴野栗山(りつざん)とともに聖堂取締を命ぜられ、松平定信政権下での学制改革(寛政異学の禁)に尽力した。栗山・尾藤二洲とともに「寛政の三博士」に数えられる。1794年代官に転じ、常陸(ひたち)国内182か村を管轄しながら昌平黌(しょうへいこう)の講師も務めた。荒廃した農村の立て直し、人口回復に尽力した名代官とされ、各地に「岡田大明神」の石祠などが建立された。著書に『幼学指要』(『日本文庫10』所収)など。[梅沢秀夫]
『重田定一著『岡田寒泉伝』(1916・有成館) ▽重田定一著『岡田寒泉 善政を施した名代官』(1980・筑波書林)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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