下口村(読み)しもとよぐちむら

日本歴史地名大系 「下口村」の解説

下口村
しもとよぐちむら

[現在地名]五城目町大川下樋口

馬場目(ばばめ)川の下流左岸に位置し、大川村の東に隣接する。南北に羽州街道が通る。

文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に「八拾八石八斗七升八合 浅(漆)原村」とあり、慶長四年(一五九九)の栗沢甚兵衛代官所物成算用状(秋田家文書)にも「漆原村」が大川村と併記される。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には大川村の内畑中漆原とある。元和八年(一六二二)真崎長右衛門は差紙を得て馬場目川下流左岸の新開に着手しているが、その中に「うるし原」「畑中」が含まれる(「真崎氏家譜」八郎潟の研究)。


下口村
しもひのくちむら

[現在地名]平鹿町醍醐(だいご)

東は山を隔てて新藤柳田(しんどうやなぎだ)村・大屋新町(おおやしんまち)村(現横手市)、西は客殿薊谷地(きやくでんあざみやち)村、南は外目(そとのめ)村(現横手市外ノ目)、上樋口村、北は上吉田(かみよしだ)村と接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に上樋ノ口の内として下樋ノ口村があるが、石高記載はない。享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)によれば、正保、寛文、貞享諸帳に、上・下樋口村の高をまとめて樋口村と記し、元禄、宝永、享保の諸帳には同高で上樋口村と記し、別に下樋口村にも元来の有高を記し「誤而新田出」とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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