日本歴史地名大系 「下唐川村」の解説 下唐川村しもからかわむら 石川県:鳳至郡穴水町下唐川村[現在地名]穴水町下唐川北東流する小又(おまた)川支流に沿う山間にあり、南は山を隔てて上唐川村、東は挟石(はさみし)村、西は山越えで桂谷(かつらだに)村。通称しもからこ。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北(なんぼく)のうち「からかう」で棟役を負担する役屋は五八間とある。領主の変遷は川島(かわじま)村に同じ。土方雄久知行目録に村名があり、高六八〇俵余、うち荒五二三俵余で、残高の四割が百姓得分。正保郷帳では高三二八石余、田方二九町二反余・畑方二町五反余。貞享四年(一六八七)の家数三七(うち役家三一)、馬六九(加賀藩史料)。 下唐川村しもからかわむら 愛媛県:伊予市下唐川村[現在地名]伊予市下唐川現伊予市の南部山地を占め、村の中央を東西に森(もり)川が流れて耕地・集落をつくる。西は大平(おおひら)村・東は浮穴(うけな)郡上唐川村、北は市場(いちば)村、南は浮穴郡佐礼谷(されいだに)村(現伊予郡中山町)と接する。古来山崎(やまざき)郷一〇村の一。寛永一二年(一六三五)の替地以来大洲藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の伊予郡の項に「下唐川村 茅山有」、高二二〇石と記す。文化一二年(一八一五)の用高(大洲藩検地による村高)は二〇八石九斗三升五合と減少している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by