日本歴史地名大系 「下堺村」の解説 下堺村しもざかいむら 兵庫県:津名郡五色町下堺村[現在地名]五色町下堺上堺村の西にあり、北西は鳥飼上(とりかいかみ)村。北東から南西にかけ過銭(かせん)山の丘陵が走り、兵陵の東側が北東向きに開けている。東部を堺(さかい)川が北流し、さらに北西へと流れる。三原(みはら)郡に属する。永正一八年(一五二一)六月四日、あハちや与三二郎光之は中嶋北殿に対し、「下さかいの中殿」ら五人の「おとな衆」の伊勢道者株を質物として、三貫文を借りている(「道者売券」来田文書)。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録には「下さかい」とみえ、上堺と合せ高五〇〇石九斗が豊臣秀吉蔵入地となっている。 下堺村しもさかいむら 石川県:羽咋市下堺村[現在地名]羽咋市本江町(ほんごうまち)本江村の北東、碁石(ごいし)ヶ峰西麓の緩斜面に立地。下坂井・下境とも書く。もと本江村の枝村(「公務当用記」加藤文書)。正保郷帳に下坂井村とみえ、高一一二石余、田方七町三反余・畑方一反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一一三石、うち二〇石は永光(ようこう)寺領で免五ツ、九三石は免六ツ二歩(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報