下小野田村(読み)しもおのだむら

日本歴史地名大系 「下小野田村」の解説

下小野田村
しもおのだむら

[現在地名]長南町下小野田

中原なかはら村の南に位置する。「しもおんだ」とも。「和名抄」記載の埴生はぶ小田おだ郷は小野田の転訛ともされ、中世には小野田郷がみえる。天野氏系図(「萩藩閥閲録」巻七三)によると、鎌倉時代初期の鎮西奉行として知られる天野遠景は武蔵の武士足立遠元の養子で、遠元の父兼広は小野田郷を領して小野田三郎と称した。同郷は遠景に伝えられたが、その所職は惣公文職であったという。「吾妻鏡」建久四年(一一九三)一一月二三日条には上総国小野田郷とみえ、同郷住人本大掾国廉が姨母を刃傷した罪科により伊豆大島に流されることになったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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