下有住村(読み)しもありすむら

日本歴史地名大系 「下有住村」の解説

下有住村
しもありすむら

[現在地名]住田町下有住

西・南は世田米せたまい村、東は上有住村に接し、北は盛岡藩領閉伊へい小友おとも村・来内らいない(現遠野市)。山嶺に囲まれ、新切にぎり川・火の土ひのつち川を合した有住川が南東部を南流。村名はもと鳴石なるしといい、有石ありしと転訛し、やがて有住となったと伝えられる。鳴石と刻まれた古碑が火の土の長床ながどこにあり、旧盛岡藩領民は昭和初年まで当地を有石と称していたという(下有住村誌)。かつては上有住村と併せて有住郷とよばれており、永禄年中(一五五八―七〇)上・下に分れたともいう。「雑書」正保二年(一六四五)閏五月二四日条には「下有住」の肝入長兵衛らの口書が到来したとある。

正保郷帳では田五五一文・畑三二貫八〇九文、ほかに新田五貫五八四文、雑木山がある。宝永二年(一七〇五)人数改によれば人数九六七、鉄砲数一一(気仙史料)。「封内風土記」では家数約一四六、新切・川面かわつら・火ノ土の小名を記す。元禄一二年(一六九九)の気仙郡古地図(大船渡市立博物館蔵)でみると新切沢に田地の印がわずかにある程度で、畑作林業を主たる生業としていた。木地師による挽物の生産も行われ、山林を伐り尽したのち良材を得るための藩有林払下げを願出て、元禄一〇年上下の有住村の肝入・塗師に対し上有住村秋丸あきまる山御林内が山手金一歩判一二切で木地山として払下げられた(「塗物用木地材払下書」秋丸文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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