日本歴史地名大系 「下木島村」の解説 下木島村しもきじまむら 長野県:飯山市木島地区下木島村[現在地名]飯山市大字下木島東は樽(たる)川をもって中(なか)村(現下高井郡木島平村)、西は坂井(さかい)・野坂田(のさかだ)村、南は上木島・市割(いちのわり)・南鴨(みなみかも)ヶ原(はら)(現下高井郡木島平村)、北は天神堂(てんじんどう)村に接する。中世には早く木島氏の所領であったが、南北朝時代には高梨氏が進出して木島氏もその配下に組み込まれている。応永七年(一四〇〇)の大塔合戦には木島太郎が参戦し、高梨朝高とともに奮戦している(大塔物語)。村名の初見は天文一一年(一五四二)諏訪社下社秋宮四之御柱造宮役を務めていることである。 下木島村しもきじまむら 新潟県:西蒲原郡巻町下木島村[現在地名]巻町下木島矢(や)川左岸にあり、対岸は鷲木(わしのき)村。北に竹野町(たけのまち)村がある。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に上木島村とともに村名がみえ、高八三石余とある。寛永一一年(一六三四)三根山領となる(「長岡懐旧雑記」長岡の歴史)。元禄郷帳は九八石四斗余。安政二年(一八五五)の三根山領年貢納高(「三根山藩」所収)では舟戸組に属し、村高は変わらず、取米六〇石余、定引一二石五斗余があり、納高は四七石五斗余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by