下滝村(読み)しもたきむら

日本歴史地名大系 「下滝村」の解説

下滝村
しもたきむら

[現在地名]山南町下滝・篠場ささば

東は上滝村、北は下小倉しもおぐら(現柏原町)、南は篠山川を隔てて枝村の青田あおだ村。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高二九三石余・畠高三三石余、林あり、「はへ山」・日損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、元禄八年(一六九五)柏原藩領となるが、翌年同藩が旗本植村領のおく(現柏原町)と領地交換を行い植村領となる(柏原藩御用部屋日記)。国立史料館本元禄郷帳では柏原藩、旗本水谷・同植村の入組地。

下滝村
しもたきむら

[現在地名]高崎市下滝町

西境を井野いの川、東境滝川たきがわ用水が東南流し、南は下斎田しもさいだ村、北は上滝村・滝村。井野川左岸沿いの慈眼じげん寺境内から南方にかけての地域には、二〇基ほどの中期から後期にかけての古墳が存在し、土師式土器の散布もみられる。群馬郡に属し、「寛文朱印留」に村名がみえ前橋藩領。寛文郷帳では田方二〇四石余・畑方四二七石余。寛延二年(一七四九)の村明細帳(天田文書)によると高五九五石余、同藩領。反別六五町八反余で、田方一三町六反余・畑方五二町二反余、慈眼寺領三〇石があった。家数七九・人数三三三、馬数一一。

下滝村
しもたきむら

[現在地名]黒羽町北滝きたたき

南流する那珂川左岸に位置し、北は上滝かみたき村。天正一九年(一五九一)の那須与一郎資景知行目録(那須文書)に「たき村」がみえ、三九〇石一斗七升と一二三石七升の二筆があるが、当村と上滝村のどちらをさすかは不明。近世は初め那須藩領。寛永(一六二四―四四)頃幕府領となったといわれる。慶安郷帳では田一九二石余・畑六三石余、那須氏領。のち幕府領となる。元禄元年(一六八八)一部が旗本真野・上野領、同一〇年残りが旗本久世領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android