日本歴史地名大系 「下田口村」の解説 下田口村しもたぐちむら 奈良県:宇陀郡室生村下田口村[現在地名]室生村大字下田口室生川流域、上田口村北方にあり、宝永六年(一七〇九)田口村が上下の田口村に分割された。村高四七九・三石。しかし天保郷帳にはみえず、上田口・下田口・角川(つのがわ)三村合計分の村高が田口村に記されている。明治維新まで幕府領。下田口西集落の西、字オトシに水分(みくまり)神社が鎮座する。旧村社。祭神は天久比奢母智神、または天水分神ともいう。由緒は不詳。 下田口村しもたぐちむら 熊本県:上益城郡甲佐町下田口村[現在地名]甲佐町田口(たぐち)東は上田口村、北西は府領(ふりよう)村、南は中山(なかやま)村に接する。近世は甲佐手永に属する。「シトノ坂村坂口村等小村アリ」(国誌)とみえ、宝暦一二年(一七六二)の甲佐手永手鑑では竈数六〇・男一六四・女一三四、駄馬二九、本高九二八石七斗余、田二一町三反四畝余・畑五六町九反六畝余、永荒畑九反八畝三歩、新地田八反四畝余、諸開(野開・請藪・新請藪)七反六畝余と茶床がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報