日本歴史地名大系 「田口村」の解説
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
- 福岡県:大川市
- 田口村
南北朝期以降も地頭職を大友氏の庶家田原氏が有した。建武元年(一三三四)六月、雑訴決断所は大友豊前蔵人次郎(田原)盛直法師に「筑後国田口村惣領西方三分二」等の地頭職の当知行を安堵しており(同月一六日「雑訴決断所牒」田原卯七文書/南北朝遺文(九州編)一)、暦応二年(一三三九)一一月八日には足利直義が田口西方三分一等の地頭職を豊前蔵人三郎(田原)直貞法師に安堵した(「足利直義下文写」大友家文書録/南北朝遺文(九州編)二)。
田口村
たぐちむら
田口村
たのくちむら
- 大阪府:枚方市
- 田口村
洪積層の丘陵台地に位置し、北部を
田口村
たぐちむら
- 広島県:東広島市
- 田口村
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
宮川中流右岸段丘上、支流
とあり、田口が内宮領七ヶ御薗とよばれる現度会町から現
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
- 愛知県:岡崎市
- 田口村
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
田口村
たくちむら
三根浦の水際で、現在も
田口村
たぐちむら
室生村南方、室生川流域にあり、室生寺から南下する道が伊勢本街道と交わる交通の要所に立地する。「大乗院雑事記」文明七年(一四七五)正月二六日条に「宇多郡田口庄関料以下安位寺殿御料所分事」とみえ、「経覚私要鈔」にも「田口関」の名が散見する。
慶長郷帳では村高八八一・〇六石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)幕府領となる。宝永六年(一七〇九)上田口村(村高四九六・五六三石)と下田口村(村高四七九・三石)に分割した。さらに享保六年(一七二一)上田口村から
田口村
たぐちむら
田口村
たぐちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報