下田島村(読み)しもたじまむら

日本歴史地名大系 「下田島村」の解説

下田島村
しもたじまむら

[現在地名]佐土原町下田島

東流する一ッ瀬川右岸に位置し、南西の洪積台地と南の石崎いしざき川との間に沖積平野が広がる。東は日向灘に面し、西は上田島村・東那珂ひがしなか村。中世は田島庄に含まれていたとみられる。戦国時代の伊東氏による社領支配の内容を示す弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)に「下田嶋 湊柱領」とみえる。当時、佐土原の湊であるとともに渡船場でもあった徳之渕(徳渕)は地内のとくふちを遺称地とすると考えられる。「上井覚兼日記」天正一三年(一五八五)八月四日条によると、島津忠長領の石崎で佐土原の島津家久領の領民が殺害された事件の際に「徳之渕」の者や佐土原衆が駆けつけてきている。同一六年二月一三日、豊臣政権との交渉のため上洛する樺山忠助は、佐土原の徳之渕から出航し大坂に至っている(「樺山紹劔自記」旧記雑録)。同年四月二六日鹿児島をたった島津義弘も五月三日に「徳之口」から出船し、細島ほそしま(現日向市)を経由してさかい(現大阪府堺市)に着いている(六月六日「島津義弘書状」同書)。文禄三年(一五九四)に上洛した新納忠元は同年四月一五日に「佐土原天神町」に入り、同月二五日に「徳渕」から船を出している(「新納忠元日記」同書)。なお天神町は佐土原城下の町名とも考えられるが、地内の徳ヶ渕の南に天神てんじんの地があり、当地内の可能性が高い。慶長五年(一六〇〇)一一月三日には高橋元種領であった宮崎城を伊東氏の家臣稲津掃部助が確保するなか、伊東勢が佐土原領天神町に放火している(日向記)


下田島村
しもたじまむら

[現在地名]太田市下田島・泉町いずみちよう西新町にししんまち

米沢よねざわ村の西に位置し、南境を東流する石田いしだ川左岸の低台地にある。北は中根なかね村、西は粕川かすかわ(現新田郡尾島町)、南は尾島おじま(現同上)。「郡村誌」によれば、古くは下田島・中根田島・上田島は一郷で田島郷とよばれたという。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「田嶋郷 田五町八反廿たい 在家六う」とある。また仁安三年(一一六八)六月二〇日の新田義重置文(長楽寺文書)にみえる「丁ふくし(長福寺)」は田島郷の西南部を占める字名で、新田義重が「らいわう」御前の母に譲った一九郷の一つ。

元久二年(一二〇五)八月日の源実朝下文写(正木文書)によると、新田義兼が新田につた庄内田島郷など一二郷の地頭職に補任されている。その後、田島郷は義兼の後家尼を経て岩松時兼に譲られ(建保三年三月二二日「将軍家政所下文写」同文書)、経兼・政経に伝えられた(弘安元年一〇月三日「岩松経兼譲状写」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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