日本歴史地名大系 「下種村」の解説 下種村しもたねむら 島根県:益田市下種村[現在地名]益田市下種町沖田(おきた)川上流域に位置し、西は烏帽子(えぼうし)山(三三八・二メートル)を隔てて赤雁(あかがり)村、東は上種村、南は山折(やまおり)村、北は宇治(うじ)村。江戸時代の支配の変遷は持石(もちいし)村と同じ。古高五九六石余、寛永一四年(一六三七)の検地高八二六石余(万手鑑)。天保郷帳では上種村・下種村・千振(ちぶり)村・赤雁村・大草(おおくさ)村・山折村をまとめて、北仙道(きたせんどう)村として高三千八四石余とみえる。水利の便を補うために大小の溜池をつくった。延享年間(一七四四―四八)製蝋が藩の直営になって以来、櫨の実の栽培が盛んになり、山折村の板場に送り届けた。 下種村しもだねむら 鳥取県:東伯郡大栄町下種村[現在地名]大栄町下種亀谷(かめだに)村の南、由良(ゆら)川上流の河岸微高地に位置する。集落の南西を八橋(やばせ)往来が通る。当村・上種村・東高尾(ひがしたかお)村・西高尾村一帯はかつて種と称されていたらしく、保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に山城石清水(いわしみず)八幡宮別当寺の極楽寺領の一つとして種別宮(現西高尾の八幡宮の前身)の名がみえ、享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば上記四ヵ村は「種ノ郷」に属していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by